球磨と山江の石橋


 球磨郡の球磨村と山江村の眼鏡橋です。大正以降の比較的新しい橋ですが、球磨村に3基、山江村に1基残っています。橋詰橋のすぐ上流で出会った石橋(いわはし)も紹介。

 
橋詰(はしづめ)橋
球磨郡球磨村橋詰
架橋:昭和30年(1955) 橋長:20.2 幅:4 戦後架橋された石橋は県内では貴重。橋を渡ると村営温泉センター「かわせみ」、橋下の清流もすばらしい、川遊びも楽しいかと。下流に一勝地橋。
 
一勝地(いっしょうち)橋
球磨郡球磨村一勝地
架橋:大正12年(1923) 橋長:25.7、幅:5m 国道219号線から対岸に渡って右折、小学校の手前、球磨川支流の芋川に架かる。マウスオンの写真は2006/08/15撮影。
 
内布橋の写真
撤去工事が始まった一勝地橋
 マウスオン写真ように、輪石や壁石の一つ一つ番号を打ってるが、移築復元の予定はないと。上のマウスオン写真のように以前よりきれいになった橋だが、消えていくとは。西様から情報を頂き、早速現地へ向かったのだが、ただ復元を祈るだけというのが残念。途中の国道219号は全面通行止め、石橋に厳しい環境なのか。(2006/08/15)
内布(うちぬの)上眼鏡橋(仮称)
球磨村渡内布
石水寺門前眼鏡橋から北に1.9km、目印は左手の用水路水門のハンドル(赤色)と道路改良記念碑。一勝地橋の撤去後、まだ郡内に眼鏡橋がまだ残されていないか。何百の橋を覗きこみ、やっと一橋見つけた!」と、西様からうれしいメールが届きました。(2007/11/22)

 ところがその後、西様より「雨のため詳しく見れなかったので再調査してきました。実は橋の中央部がコンクリート造で上・下流の2橋でした。先に送った写真は上流の橋でした」とのメールとともに下の2枚の写真と橋のデータが届きました。上・下流に間隔をあけて2つの橋が並ぶとは珍しいめがね橋です。西様は続けて「なぜあそこに二つ石橋があるのか、謎が増えました。上下とも欠円アーチの眼鏡橋。さほど重要な街道でもないし、道が分岐しているのでもなく、眼鏡橋の必要性が無い所に2橋。練習用の石橋だった気も?」とも。(2007/11/28、12/03)
 前回訪れたときは下流側は草むらの下と勝手に勘違いしていたが、道路中央部で左に曲がり、左手の水路に下眼鏡橋の輪石がはっきり見える。水も少なく、橋下を歩くことができ、上下2基の眼鏡橋と間のコンクリート橋を確認。(2007/12/27)内布橋の写真が別ページにも。
内布上眼鏡橋
橋長:2.4m 幅:3.7 径間:2.1 拱矢:0.7
マウスオン写真の奥に見えるのが下の橋(12/27撮影)
 
内布下眼鏡橋
橋長:1.7m 幅:3.2 径間:1.7 拱矢:0.6
マウスオン写真の奥に見えるのが上の橋(12/27撮影)
 
飛び石橋
橋詰橋のすぐ上流。ちょっと対岸に渡るには、こちらが便利なのだろう。「年月も いま経なくに 明日香川 瀬瀬ゆ渡しし 石橋もなし(巻7-1126)」など、万葉集に出てくる石橋(いわはし)は全てこのような飛び石。浅瀬に石を並べただけ、石並(いしなみ)とも。
 
岩戸橋の橋柱
球磨郡球磨村神瀬字岩戸
大正12年2月架橋の灌漑用水路を兼ねた眼鏡橋でしたが、平成14年に流域防災工事で撤去され、熊野座神社の参道に橋柱と輪石の一部が。傍には以前の写真と紹介板(マウスオンの写真)も。
 
森下(もんのした)橋 球磨郡山江村西川内
架橋:昭和16年(1941) 橋長:7m 橋幅:4.3m 高速道路の山江サービスエリアのすぐ近くに位置し、現在ではコンクリートで拡幅されており、道路からはアーチ橋とは気付き難いが、輪石は確固たるもの、架橋当時のままであろうか。山江村で唯一の眼鏡橋、アーチが道路上から見えるようにはならないものか。

撮影:2003/04/29(岩戸橋の橋柱は2005/01/23) 最終更新:2007/12/27

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<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
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