古代の神秘が息づく山鹿市菊鹿町に残る石橋を紹介します。
洞口(とうぐう)橋(「洞宮」橋とも) 山鹿市菊鹿町上日渡 架橋:安永3年(1774) 橋長:6.0m 橋幅:0.58m 熊本の石橋では最古の石橋である。石工は、熊本城築城の際、加藤清正が呼び寄せた近江石工の子孫「仁平」である。天明2年、阿蘇長陽の黒川眼鏡橋(橋場橋)を架橋するにあたり、実験的に試作したものと伝えられている。輪石1列だけの珍しい石橋で、輪石を縦方向に継いでいった「リブアーチ式の眼鏡橋」である。リブアーチは「仁平」石工グループの特徴の一つ。 平成5年6月の水害で一部が流失したため、同6年9月にすぐ近くに復元保存。写真右は元来の架橋場所に残っている輪石の跡で、両岸に1個ずつ新しいコンクリート橋の下に残っている。 |
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山内(やまうち)橋 山鹿市菊鹿町山内字下原 八谷渓谷への道を別れ、鹿北町方面へ向かう18号線を進み山内分校の先を右手に入った山内川に架かる。 石工:坂梨浅八、高橋久太郎、松船辰次 橋長:6.8 橋幅:4.3 径間:3.3 |
今村(いまむら)石橋 山鹿市菊鹿町山内字今村 山内橋から更に進んだ集落今村の神社の裏の谷間に架かり、肥後の石橋の中では珍しくスマートな石橋。 石工:原口棟朔 架橋:明治4年(1871) 橋長:7.0 橋幅:3.3 径間:4.5 |
駒返(こまがえり)橋 山鹿市菊鹿町山内字前畑 鹿北町からの県道18号線下の内田小学校山内分校から溯った田圃道にあるが、輪石は草に覆われており(右写真)解りづらい。橋の名前からして、この場所は馬も引き返したほどの難所だったのでしょう(?) 架橋:元治2年(1865) 橋長:4.5 橋幅:2.7 径間:2.93 撮影:2002/05/13 |
古閑の石橋(仮称) 山鹿市菊鹿町古閑 N 33゜04′47″E 130°44′52″高度200m 駒返橋の上流200mほどの地点にあるコンクリート橋から更に50mほど上流に架かっている。コンクリートで拡幅された石桁橋。橋長:約2 橋幅:約2 駒返橋に行ったとき見つけたと,閲覧者の方からの情報を得て。撮影:2010/03/07 |
2000/11/03撮影(駒返は2002/05/13,古閑他2010/03/07)