長崎の石橋


 九州本土で最初にアーチ石橋が架けられたのが、長崎市内である。長崎市中心部を流れる中島川には、江戸初期(1650年代)の10基を含め20基のアーチ石橋が架かっていたが、現在では流失後復元されたのも含めても9基ほどになっている。他にも、長崎市内だけでなく、諫早、平戸など各地にも多数の石橋が残っている。(2002/04/05)

長崎の眼鏡橋
橋長:23.0m、橋幅:4.7、径間:8.3 拱矢:4.4
1634年(寛永11年)架橋。1982年の長崎大水害で崩壊したが、翌年復元。壁石が「平行布積み」で、きれいにしてあるところが、肥後の石橋との大きな違いである。長崎市の中心部を流れる中島川に架かり、周囲は公園化され市民の憩いの場所である。
袋橋
橋長:19.4、橋幅:4.4、径間:17.0 拱矢:4.3
眼鏡橋のすぐ下流に架かる石橋で、写真は川下から撮っているので、上流に眼鏡橋が見える。正保4年81647)以前の架橋。昭和57年(1982)の長崎大水害で、眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6基が流失したとのこと。袋橋は昭和60年に復元されている。
東新橋(?)
眼鏡橋のすぐ上流の橋。長崎大水害(昭和57年)で流失した元の石橋は復元されることなく、その後架けられた鉄筋コンクリート製。復元できなかったことは残念、河岸のコンクリートも寂しい。
孔子廟の眼鏡橋
長崎市大浦町
立派な大理石で造られたモニュメント的な橋ではあるが、立派なアーチ式石橋。孔子廟が明治26年に創建されたというから、その後のものであろう。
諫早の眼鏡橋
長崎県諌早市(諫早公園)
橋長:49.2 橋幅:5.5 径間:18.1 拱矢:6.0
わが国の移築保存のモデルケースとなった石橋、橋下が川であればとも。しかし、水害復旧の最中しかも財政難時、保存を決断した当時の市長の英断に頭が下がる。国指定重要文化財(昭和33年)など、石橋の文化財的価値を国に認知させた功績も大きい石橋でも。
オランダ橋(幸橋)
長崎県平戸市(市役所裏)
橋長:19.8 橋幅:5.1 径間:15.5 拱矢:5.4
元々幸(さいわい)橋という木橋があったところに、元禄15年(1702)、オランダ商館建設にあたった石工の指導のもと架橋されたもので、オランダの技術が取り入れられていると言われている。現在の橋は昭和55年に修復復元されたもの。昭和53年国指定重要文化財。
撮影:2002/3/31〜4/2

緑川1 他の1 天草 荒尾 南関 菊池 菊陽 白水 豊野 矢部 御船 人吉 津奈木
緑川2 他の2 最古橋 山鹿 三加和 菊鹿 大津 宇土 445 砥用 田浦 水俣
緑川3 熊本 東陽 鹿北 玉名 植木 長陽 松橋 中央 甲佐 円通寺 芦北 大分

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<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会