植木町の石橋

西南の役激戦地田原坂や小野小町で有名な植木町の石橋を紹介します。


正院(しょういん)眼鏡橋 鹿本郡植木町小野 橋長:5.5m 橋幅:2.1
 安政3年(1856)、正院川に架橋されたが、河川改修により昭和51年11月「小野泉水公園」に移転復元、現在では小町堂の門前橋の役目。石工は八代の吉平。国道3号線を植木町役場方向に入り約2km。「小野泉水公園」は平安時代の女流歌人で、絶世の美人としても名高い小野小町が産湯を使ったと言われている泉がある。小町の父「出羽郡司小野良実」は養父の罪に連座して流罪の身となり、この地で11年を過ごし、その間に長女龍子と次女小町が生まれたと伝えられている。右上の写真が小町像を安置する小町堂と歌碑。「花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」
 
輪石をくさびで繋ぐ独特な工法が
三十六の眼鏡橋
植木町清水
N 32゜56′29″ E 130°40′35″73m 嘉永3年(1850)大清水村庄屋畠山理左衛門、服部甚之助、広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門らにより、村界を流れる大清水川に架橋。熊本から小倉へ通じる旧街道の橋。昭和57年の水害後撤去され、昭和59年現在地(天満宮境内:国道3号線より菊水への県道3号を4km程の右手)へ移設。石工は吉平。
豊岡(とよおか)眼鏡橋
植木町豊岡 N 32゜55′08″ E 130°38′27″36m
享和2年(1802)の架橋で、初期の肥後の石橋。石工は理左衛門、吟右衛門、次平、惣八、嘉右衛門らで、仁平グループの技法。鈴麦村・田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、同総代寿三郎、甚兵衛、良助らの肝いり。植木から玉名への国道208号線を6km程進んだ左手(県道31号横)、田原坂直下にあり、橋付近が西南の役当時の官軍の砲台跡。 
 
滴水(たるみず)橋(H22.1撤去)
植木町滴水 架橋:大正
橋長:6.3 橋幅:約3.5 径間:3.2
N 32゜53′31″ E 130°40′45″75m
国道3号線より県道113号へ左折し、桜井小学校先を右折、敵水の大イチョウ手前の木葉川に。橋面はコンクリートで覆われ拡幅されており、石造めがね橋とは気付き難い。移設後の写真が下に
円台寺(えんだいじ)橋梁
植木町円台寺 架橋:明治24年頃
橋幅:24.0 径間:6.8
N 32゜52′59″ E 130°39′31″72m
菱形小学校近くのJR鹿児島本線円台寺踏み切り北側の谷に架かる鉄道橋で、道路上からは見えない。アーチ形が放物線というのも珍しい。橋情報は贄田様より頂きました。
小野泉水公園に移設された滴水橋 移設後の滴水(たるみず)橋
鹿本郡植木町小野
橋長:約8m 橋幅:約4.5 平成22年3月,国道バイパス工事の為小野泉水公園に移設された滴水橋。欄干や橋面は新しく作成されたが,輪石や壁石はほぼ元のままとのこと。撮影:2010/03/07
 
下流方向から 下流側
谷(たに)の眼鏡橋
植木町平原(豊岡) N 32゜55′11″ E 130°38′51″38m
架橋:明治? 橋長:約11m 橋幅:4 径間:8 豊岡眼鏡橋の上流800mほどに,豊岡と平原を結ぶ橋。国道208号線から田原坂へ南進,豊岡橋の先を左折,数十m先を更に左折して進むか,208号線を玉名方面から田原坂公園入り口から800m,標識「植木まで6km」の手前(西側)を右折300m。周囲の人もめがね橋とは知らない方も。下流側から橋下に下りることができ,しっかりとした輪石を確認できる。橋情報は贄田様より頂きました。
 

撮影:2000/09/17、滴水は2005/01/10、円台寺は2006/03/22、谷橋は2010/02/21

左図は各石橋の大まかな場所を示す略図で、縮尺等は正確ではありません。

最終更新:2010/03/09
制作:熊本国府高等学校PC同好会

 

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