熊本市の石橋

我が熊本市内にも石橋が残っています。
本校の近所にも4基、全部で7基の石造眼鏡橋が!
小さな写真を撮り直し、リニューアルしました。(2005/05/05)


 
水前寺公園の太鼓(たいこ)橋
N 32゜47’24″ E 130゜44’03″海抜12m
橋長:4m 橋幅:1.9 径間:3.4
水前寺公園は熊本の観光名所の一つ、公園内には4基の石橋があるが、他はすべて桁橋。アーチ式石橋は正面入り口から右方向に進んだこの太鼓橋だけ。
 
水前寺公園の石桁橋
N 32゜47’29″ E 130゜44’02″海抜12m
出水神社手前に石桁橋2基(後方の橋はマウスオン)。明治12年の架橋で、石工は岡村と記。本校は創立時から昭和56年に現在地に移転するまでは、校門前が水前寺公園前電停で、公園は前庭みたいだったとのこと。
出水小(いずみこ)橋
N 32゜47’28″ E 130゜44’00″海抜12m
橋長:約1.5m、橋幅:約8
水前寺公園入口に架かる石桁橋(石桁がアーチ状に曲っているが眼鏡橋ではない)。土産物店から続く石畳の道の延長上にあり、欄干に気付かない限り石橋の存在にも。
中松尾(なかまつお)橋
N 32゜47’10″ E 130゜42’33″海抜17m
橋長:7.5 橋幅:2.9 径間:6.7 拱矢:2.3
南熊本駅近くの寺田公園内の一ノ井手に架かる。元々は松尾町若宮神社前の松尾川にあったもので、昭和32年の水害後の河川改修で撤去され、この公園に移築保存。
 
明八(めいはち)橋
N 32゜47’53″ E 130゜44’03″海抜11m
橋長:21.4m 橋幅:8.3m
石工は通潤橋で有名な橋本勘五郎、明治8年架橋。当時の中心街だった唐人町と新町を結ぶ坪井川に架かる橋。名称は明治8年架橋ということで。今では役目を譲り、歩行者専用橋。
明十(めいじゅう)橋
N 32゜47’49″ E 130゜41’56″海抜13m
橋長:22.7m 橋幅:8.4m
明八橋の2年後の明治10年、すぐ上流に架けられ、石工も同じ橋本勘五郎、長・幅等もほぼ同じ兄弟橋。改修されてはいるが、大型車も通る現役の石橋。(撮影は共に2004/08/06)
 
大井手(おおいで)橋
N 32゜48’00″ E 130゜42’55″海抜19m
橋長:6.0 橋幅:6.3 径間:4.3 拱矢:2.1
本校から2km弱、九品寺の電車通りNTTの南側裏手の大井手に架かっている。輪石は草に覆われ、コンクリートで拡幅され、今では眼鏡橋と気付く人も少ない。明治35年架橋説が有力。
 
第一高校正門前の石橋
N 32゜48’02″ E 130゜41’58″海抜17m
橋長:約9m 橋幅:約5
架橋年等不明だが、ここは元々熊本城内、城門に続く橋であったのだろう。現在は橋面は舗装され、石造めがね橋と気付く人も少ないのでは。車も通る現役の石橋。撮影:2000/10/01
鮎帰(あゆがえり)橋 熊本市河内町河内
位置:N 32゜49’13″ E 130゜37’02″海抜85m 架橋:弘化3年(1846) 橋長:12.3 橋幅:6.5 径間:7.9 拱矢:5 本妙寺から金峰山を超えて河内への県道沿い、霊岩洞・岩戸観音への入口より800m程河内方面へ下った河内川に架かる。下流側はコンクリートで倍近くに拡幅(左写真マウスオンで路面風景)されているが、上流側からは輪石が見える。更に谷川に下りればすばらしい清流と緑(左写真)、熊本市内にもこんな場所もあるんだ、コンクリートと鉄骨を取り除き、周囲の環境整備を行えば立派な観光資源かと!橋の袂には「右ふるみち 左志んみち」の石碑(右写真マウスオン)、右に進むと900mで岩戸観音・霊巌洞、周遊コースである。撮影:2004/12/19
撮影年月日のないものは2005/05/05撮影
 
以下の写真は以前のものです。
最終更新:2005/05/08 <制作:熊本国府高等学校パソコン同好会>

 
緑川1 荒尾 山鹿 菊陽 白水 中央 砥用 宇土 人吉 水俣 大分
他の1 南関 菊池 大津 一の宮 445 甲佐 松橋 東陽 田浦 天草 長崎
最古橋 鹿北 菊鹿 植木 小国 矢部 豊野 小川 八代 芦北 円通寺 山形
熊本 三加和 玉名 長陽 産山 御船 宮原 三角 坂本 津奈木 福岡 海外

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