八代の石橋

 平成17年8月1日、合併により新八代市が誕生し、東陽坂本を含め、全部で47基の石造めがね橋があり、美里町の43基を抜いて、市町村別で県内一となりました。


 昔は、旧薩摩街道沿いや金剛校区を中心に数多くの眼鏡橋があったが、道路や河川改修により既に撤去されたのも多いとのこと。現在残っている国道3号線沿いの7基と、坂本村への道沿いの1基を紹介します。(新大平と敷川内以外の撮影:2002/10/14) 八代の石橋2

 
新免(しんめん)眼鏡橋
八代市二見本町新免
架橋:嘉永6年(1853)頃 石工:不明
橋長:11.9m、幅:3.1 拱矢:3.6
コンクリートで覆われてはいるが、造りはしっかりしたもの。国道三号線から右手の田の中に見える。
 
赤松(あかまつ)第1号眼鏡橋
八代市二見赤松町岩下
架橋:嘉永5年(1852)頃 石工:不明
橋長:12.3m、幅:3.1 拱矢:3.5
国道三号線から、右手の旧薩摩街同沿いに架かる。上面のコンクリート舗装以外は元のままか。
大平(おおひら)眼鏡橋
八代市二見本町大平
架橋:嘉永5年(1852)頃 石工:三五郎
橋長:5.0m、幅:2.5 拱矢:2.0
赤松第1号眼鏡橋を南下して、一つ目の尾根を越えた水田の中に見えてくる小さい橋。
 
小藪(こやぶ)眼鏡橋
八代市二見赤松町小藪
架橋:嘉永5年(1852)頃 石工:不明
橋長:13.5m、幅:3.8 拱矢:3.9
大平橋を更に進んだ峠を下った左下に。十二分過ぎるコンクリートの補強で輪石は見え難い。
須田(すだ)眼鏡橋
八代市二見赤松町須田
架橋:嘉永2年(1849)頃 石工:不明
橋長:11.8m、幅:3.0 拱矢:2.8
国道三号線沿い、赤松トンネル手前1kmほどの上(?)小藪バス停から右手に降りて行った田んぼの中にひっそり。二見川最上流の眼鏡橋。
 
床並(とこなみ)眼鏡橋
八代市二見野田崎町床並
架橋:嘉永4年(1851)頃 石工:不明
橋長:9.7m、幅:2.3 拱矢:3.5
坂本村への県道258号線の右側の旧道に。すでに廃道となって夏草に隠れている、橋下を流れる谷川のせせらぎ、生い茂る木々の緑もよい。
新大平(おおひら)眼鏡橋
八代市二見本町大平(N32゜23′14″E130°32′38″海抜61m)
架橋:明治38年(1905) 橋長:24.57m、幅:5.3 拱矢:4.7 国道3号線沿い大平本村バス停先(南)を右手(西))旧道に入るとすぐ。大牟田の円佛七蔵氏建造と石碑に。(撮影:2004/11/20)
敷川内(しきかわち)眼鏡橋
八代市敷川内町(N32゜27′08″E130°35′38″海抜8m)
国道3号線を日奈久方向に南下、金剛小敷川内分校の先、変電所手前を左折、敷川内川沿い150mほど上流のコンクリート橋手前(右写真マウスオンで周囲の風景)、敷川内川の下を横切る用水路に架かる。敷川内川に架かる橋と思い込んで居た為見つけるのに苦労。3度目の訪問で、たまたま用水路のほうに行き偶然発見。上流側壁石は乱れ積み(左写真、マウスオンで拡大)だが、下流側(右)は水平(?)積み、工事時期が異なるのか。架橋時期は不明だが、用水路と同時期か。橋長:5.2m、幅:7.5、拱矢:0.6(撮影:2005/02/06)

 江戸時代の旧道を散策するのも面白い。自動車がなかった時代の旅がどうだったのか、経験するのもいいもんですね。弁当は美味いし、木陰がこんなにも心地良いものとは、草花や小鳥のさえずり等々、古い道を歩いてはじめて気付く出会いや発見もいろいろ!八代市二見地区の眼鏡橋、たもとに絵入りの案内板が!(最終更新:2007/01/19)

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
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