平成17年8月1日、合併し八代市に!
肥後の名石工岩永三五郎の墓がある「八代市鏡町」
ここ鏡町には、眼鏡橋は1基が残っています。
鑑内(かんない)橋 八代市鏡町内田 架橋:文政13年(1830) 橋長:7.2m 橋幅:2.8 径間:5.5 現在、鏡町に残っている唯一のめがね橋で、岩永三五郎が造ったものと言われている。松橋から八代へ続く通称「鏡県道」(14号線)と宮原町から千丁町への県道の交差点を千町方面に100mほど入った左手にある。平成6年に改修されて、現在では歩道橋として利用されている。鑑(鏡)と内田を結ぶ橋ということから、「鑑内橋」と呼ぶとのこと.、江戸時代には八代と松橋を結ぶ往還の要所。 |
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岩永三五郎の墓と銅像 八代市鏡町芝口 岩永三五郎は肥後の石工の中でも特に卓越した技術を持ち、熊本で初めての水路橋「雄亀滝橋」をはじめ、薩摩藩の招請を受けて、西田橋などの鹿児島「五大石橋」を架設するなど、肥後の石工の名声を大いに高めた人物。石橋のほかにも、肥後藩最大の干拓事業である「七百町新地」工事の「八代郡中石工ども惣引き回し」としても活躍。墓は、松橋からの県道鏡線を竜北町から氷川の浜牟田橋を渡りすぐ右折、堤防沿いに1km程進み、左折すると左側に墓地がある。銅像が手に持っている曲尺(かねじゃく)は石工技術のシンボル! |
石工「岩永三五郎」は 八代郡野津手永西野津村 (現在の竜北町、鏡町の北隣)の 石工「宇七」の次男として生まれ 晩年をここ鏡町で過ごしています。 写真撮影:2004/02/28 最終更新:2005/08/28 制作:熊本国府高等学校PC同好会 |
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