芦北町(旧田浦町)の石橋


八代から南へ下った葦北郡田浦町(2005年1月、芦北と合併し芦北町に)
江戸時代、薩摩と肥後を結ぶ重要な街道である薩摩往還上に
当時造られた石橋、今でもしっかりと生きている!

 
塩屋(しおや)眼鏡橋  芦北町田浦(役場東側)

安政元年(1854) 石工:種山組(教育委員会資料では、江戸末期、石工不詳)
橋長:5.2m 幅:3.6m 径間:4.0m 高さ:1.8m
薩摩往還上の極めて重要な石橋、現在は町役場の敷地内に移築保存されている
橋本(はしもと)眼鏡橋  芦北町田浦(田浦小学校裏手)

石工:種山組(教育委員会資料では、江戸末期、石工不詳)
橋長:10.0m 幅:3.8m 径間:8.8m 高さ:3.2m
石材の一部に貝殻が付着していることから、八代・天草方面から運ばれたと推定
門口(もんぐち)眼鏡橋  芦北町田浦(橋本橋上流)

石工:種山組(教育委員会資料では、江戸末期、石工不詳)
橋長:9.7m 幅:3.6m 径間:8.0m 高さ:3.9m
天井中央部に四角中の石材がはめ込まれている、これで力のバランスをとっているのか?
野添(のぞえ)眼鏡橋  芦北町野添

石工:種山組(教育委員会資料では、江戸末期、石工不詳)
橋長:3.4m 幅:3.3m 径間:3.2m 高さ:1.9m
今では、田んぼのあぜ道にある草に覆われた小さな橋だが、当時は薩摩往還の重要な石橋、田浦町内で原型を留める唯一のもの。

写真は平成11年8月23日撮影

 田浦町教育委員会の溝下様から頂いた資料を参考にしました。知らない土地で、古い石橋を捜し歩くのは難しいものです。当日は丁度平日、役場が開いていましたので、訪ねてみることにしました。快くお教えいただき助かりました。お陰で1時間ほどで廻ることができました。ありがとうございました。(2005年1月、田浦町は隣の芦北町と合併し、芦北町に 採取更新:2005/02/02)

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
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