大分では、大正、昭和まで、アーチ石橋が造り続けられています。一方熊本では、コンクリート工法が主流になる明治後期になると、「いつまでそんな”金食い虫”の石橋を造り続けるのだ!」など、石橋を造り続けようとする石工への風当たりが強くなったという話も残っており、居たたまれなくなった石工達は次第に消えていったとも聞いております。
末永く石橋の価値や石工の業績を評価し、その伝統を守り続けた風土に敬意を表し、簡単ではありますが、ここに大分の石橋、中でも日本一の石橋の町「院内町」の石橋を紹介致します。
大分の石橋でも、江戸時代に造られた古いものは、飾り気のない素朴さなど「肥後の石橋」と共通のイメージを持っておりますが、以下に紹介する大正以降の石橋には、2連,3連以上の長い橋が多く、上品で洗練されたイメージを持ち合わせたものとなっています。
鳥居(とりい)橋 大正5年(1916) 石工:松田新之助 設計:都留精一郎 橋長:55,15m 橋幅:4.35m 橋高:14.05m 5連アーチ 宇佐市から国道387号線を院内町に入ると、最初に出会う大型の石橋。高速道路の近代的な橋の手前、新旧の対比が。 | |
御沓(みくつ)橋 大正14年(1925) 石工:不詳 橋長:59,00m 橋幅:4.55m 橋高:14.70m 径間が18,2m,11.0mの2連アーチ 長さ59mは院内町最長、下流の堰(せき)は眺めを引き立たせるばかりか、土砂流失を防ぎ、倒壊防止の役割もあろう。 | |
荒瀬(あらせ)橋 大正2年(1913) 石工:松田新之助 橋長:47,40m 橋幅:5.95m 橋高:18.30m 2連アーチ 架設当時は有料橋であったという。めがね橋として、もっとも整った橋であるとの紹介。石橋童夢、道の駅の向かい側。 | |
富士見(ふじみ)橋 大正14年(1925) 石工:松田新之助、吉村万太郎 橋長:48,10m 橋幅:4.50m 橋高:14.00m 3連アーチ 橋の上に立てば、遠く由布岳(別名豊後富士)が眺められるのが名前由来らしい。すぐ横に新しい橋があることが残念! | |
分寺(ぶじ)橋 昭和20年(1945) 石工:不詳 橋長:46,00m 橋幅:3.85m 橋高:7。35m 径間:9.95m 径間が等しい均整のとれた美しい3連アーチ、気品あふれる優しいイメージで、上流からの水面に映る眺めが特にいい。 |
以上の写真は全て平成11年1月4日、大分県院内町(当時,現在は宇佐市院内町)で撮影したものです。院内町は全国一の石橋(総数74基)の町で、石橋を町興しのシンボルとしており、上記全ての橋で夜間ライトアップも実施されています。周囲には展望所などもあり、きれいに清掃されており、先人達が残してくれた石橋を大事に護り続けている暖かい雰囲気が町中にあふれているように感じました。院内町の実態やその取り組みは、「肥後の石橋」の保存や復元運動の在り方や方策に参考となるかも知れません。(1999/01/06)
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