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重見(しげみ)橋
八代市東陽町石橋公園内
橋長:9.0m 橋幅:3.2
径間:6.5 拱矢:3.0
明治10年(1877)、重見部落の入り口に架けられ、通る人々は皆襟を正して渡っていたとのこと。平成元年、この公園に移築.。 |
鍛冶屋下(かじやしも)橋
八代市東陽町西原
橋長:7.03m 橋幅:2.46
径間:3.92 拱矢:0.72
文化元年(1804)頃、林七の架橋したもので、石匠館のすぐ下に。すでに現役を引退、すぐ横に新しい橋があり、目立たない。 |
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鍛冶屋(かじや)自然石橋
橋長:2.0m 橋幅:1.3 径間:1.0
石匠館横の鍛冶屋谷沿いに架かる。橋本勘五郎72歳(1895年)の作品です。そこらに転がっていた石をそのままアーチ状に積んだだけに見え、今にも崩れ落ちそにも。石橋の心を知り尽くしていた勘五郎の集大成の作と言ってもいい石橋。H19.7.6の大雨で流失(マウスオン写真)、自然石橋だけに完全復元は不可能か。 |
大久保(おおくぼ)自然石橋
橋長:1.7m 橋幅:0.7 径間:0.8
橋本勘五郎、74歳のとき(1897年)架橋。小さな自然石橋で、標識がないなら見過ごしてしまうほどです。しかし、よく見ると、まさしくアーチ式石橋そのものです。大雨が降れば鉄砲水も流れるだろうに、よくぞ流されずに残っていたものだと感心します。こちらもH19.7.6の大雨で少し崩れた(マウスオン)ようにも。 |
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左が鍛冶屋(かじや)中橋で、右側が鍛冶屋上橋
中橋(橋長:4.3m 橋幅:2.6 径間:2.7) 上橋(橋長:4.1 橋幅:2.6 径間:2.7)
石匠館の東横を流れる鍛冶屋谷、ここに種山石工の祖「藤原林七」が住みつきました。文化元年(1804)頃、鍛冶屋上橋、鍛冶屋中橋、鍛冶屋下橋を架けることに。林七の永い間の石橋への夢を実現し、アーチ石橋の技術を完成させたのです。林七の長男の嘉八(14歳)や弟弟子三五郎(11歳)等も架橋を手伝い、その完成の喜びを味わったものと思われます。これが種山石工誕生の瞬間か。 |