阿蘇「小国町」の石橋

阿蘇の北外輪を越えた温泉郷「阿蘇郡小国町」に残る2基の石橋を紹介します。


 
蓬莱(ほうらい)橋 阿蘇郡小国町東蓬莱
N 33゜07′44″ E 131°02′09″高444m
橋長:約14m、幅:3.6m 架橋:明治25年(1892)、昭和28年架け替え。
 阿蘇町からの国道212号線から国道387号線へ左折(ピラミッド方向)し約2.5km進み、右手坂本善三美術館前の旧道へ右折300m程の三叉路左手。肥後の石橋では、壁石は乱れ積みが多いが、きれいな水平積み(左写真)。
 
鯛之田(たいのだ)橋 阿蘇郡小国町西里
N 33゜09′55″ E 131°05′52″高540m
橋長:約9m、幅:2.5m 架橋:大正15年(1926)
 道の駅「ゆステーション」横の国道387号線を西里方面に向かい、鯛田バス停を左折1.5km程下った三叉路の左手、民家の横に架かる。下流側三分の一程がコンクリートで拡幅されている。壁石は水平積み。
 
通浄(つうじょう)橋 阿蘇郡小国町宮原
N 33゜07′08″ E 131°04′04″高440m
橋長:4.0m、幅:2.13、径間:3.6、拱矢:1.1、架橋:大正11年(1922)
 肥後銀行小国支店裏手にある善正寺の門前橋。親柱に橋名・架橋年月と寄進者名として鎗水様夫妻の名前が刻まれている。「浄土(仏の住む清らかな世界)に通じる橋という意味の橋名が良いでしょう」と住職様。この通浄橋の情報は贄田様より教えて頂きました。(2005/12/26)
 
秋原橋(仮称) 小国町下城(N 33゜10′09″ E 131°02′33″海抜 m) 橋長:4.5m、幅:4.0、径間:2.1、拱矢:1.1 国道212号線左手に下城小学校を見て杖立方面へ2つ目のトンネルを過ぎ500m程右手の九電水路敷地。同地にはコンクリートアーチ(マウスオン)も2基。この橋情報も贄田様より、行動力に頭が下がります。
 11月4日は文化祭の代休、熊本市内はまだ紅葉には早いが、鯛之田橋たもとの楓(左写真)は色づいている、北里柴三郎記念館でも真っ赤な楓!下城の大イチョウ(右写真)もまさに見頃、休日なら駐車場は満杯、今日は平日、それでも見物人が次々。大イチョウの下を歩くカップル(マウス・オン)、絵になります、いつか私も・・・。
 
撮影:2004/11/04 通浄橋は2005/12/26 秋原橋:2006/11/04
 
 小国町に残る石橋、壁石は、面や角をきれいに整えた石を目地が水平になるように積み上げていく「水平積み」で、江戸期の「肥後の石橋」の「乱れ積み」とは異なります。この時代になると資金面に余裕があったということでしょうか。明治中期以降次々と架けられていった大分の影響もあることでしょう。大分に近い小国や隣の南小国、捜せばもっと眼鏡橋に出会えそうな雰囲気もしないではありません。知っておられる方いらっしゃいましたら、お教えいただければ幸いです.。
 鯛之田橋で、近くの方に橋名をお尋ねしたのですが、知らないとのこと。確かに、橋はその存在そのものが重要で、名前なんてどうでもいいものかも知れません。他の橋との区別が必要な時、例えばこのようなページを作る時に必要なものか。以前、ある地区を訪れた時は「うえ(上)ん橋、した(下)ん橋」と区別されていたことも。より広い地域で区別するのに「地区名」を入れ「橋名」が生まれたのでしょう。私たちの名前や姓だって同じ発想からではないでしょうか。地区名や国名も同じことでしょう。
制作:熊本国府高等学校パソコン同好会
 
緑川1 荒尾 山鹿 菊陽 白水 中央 砥用 宇土 人吉 水俣 大分
他の1 南関 菊池 大津 一の宮 445 甲佐 松橋 東陽 田浦 天草 長崎
最古橋 鹿北 菊鹿 植木 小国 矢部 豊野 小川 八代 芦北 円通寺 山形
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