田原坂と西南の役

 

 雨はふるふる 人馬はぬれる 
越すに越されぬ田原坂
ここが西南の役の古戦場
今、田原坂歴史公園
として、整備されている
明治10年(1877年)

日本の将来を憂う
 西郷隆盛は立ち上がったが 
その犠牲も大きかった
西南の役は
県内の大半を戦場化し
人家を焼きはらい
人命に多大な犠牲を
強いてしまった


 明治10年(1877年)、西郷隆盛の率いる鹿児島士族が起こした反政府運動で、日本最後の内戦。

 2月15日、13,000の薩軍が鹿児島を出発すると、九州各県の旧士族が部隊を編成して加わり、総勢は3万を越えた。熊本からも、熊本隊や人吉隊などが参加しました。

 政府軍も9個旅団(約9万)を投入し、熊本城周辺や田原坂で激戦を繰り広げました。熊本城での攻防は2月22日から52日間にわたりましたが、それでも熊本城は落ちず、田原坂の戦いで物量に勝る政府軍に破れた薩軍は、敗戦を余儀なくされました。

 8月17日、宮崎県長井村で大半が降伏、西郷隆盛らも9月24日鹿児島の城山で全滅し、我が国最後で最大の内乱となった西南の役は終結しました。しかし、両軍合わせて14000人もの戦死者が。

 近代日本誕生時における、あまりにも悲惨な出来事だったと思います。地球上では、今なお内戦や地域紛争が発生しているところもたくさんあります。悲惨な戦いが世界中から一日も早く無くなることを祈りたいものです。

 田原坂公園内にある資料館では、当時の銃器類や写真、大砲の実物大模型などの資料が展示されています。

田原坂資料館 鹿本郡植木町豊岡
TEL:096−272−4982
休館:月曜日及び祝祭日の翌日

製作:熊本国府高等学校PC同好会

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