球磨川を遡った小京都「人吉」に残る「レンガアーチ橋」と「合掌型アーチ橋」です!
贄田様と西様からいただいた情報と写真を元に作成しました。人吉の石橋1へ 人吉2へ
今回は石造アーチ橋とは兄弟分と言えるでしょうか、JR肥薩線にあるレンガ造りアーチ橋2基を紹介します。贄田様は最初「トンネルなのか?橋梁なのか?」と、やはり石橋愛好家の宮田様と検討されたそうですが「トンネルは、穴を掘って造ったもの。橋梁は最初に川や道路などがあり、そこを跨いで造ったもの、その後盛土などして一見トンネルにも見えるが、立派な橋梁!」という結論に達せられたそうです。但し「石造アーチ橋とは一線をひかなければならない」とのことでした。
大畑(おこば)溝橋(仮称) 人吉市大野町 橋幅:16.0m 径間:1.84 拱矢:0.92 架設:明治42年(1909)頃 JR肥薩線 |
矢岳(やたけ)駅北橋梁(仮称) 人吉市矢岳町中 径間:3.3m 拱矢:1.65 架設:明治42年(1909)頃 JR肥薩線 |
東間小学校校門前石橋 人吉市東間下町 N 32゜22′14″ E 130°46′01″ 117m 見える範囲での寸法が、橋長1.95m 橋幅7m位とのこと。合掌型のリブアーチと言ってもいいのではないでしょうか。左上の写真とデータは西様よりいただきました。(2007/12/17) 右上の校門手前の下に合掌型の石橋が。右上マウスオン写真は100周年記念碑ですが、石碑は石橋の石桁を利用したものだそうです。マウスオンと右上の東間小学校の写真は12月27日撮影。 |
大畑と矢岳の写真及びデータは贄田様からいただきました。写真はページの都合上縮小しており、見え難いかもしれません。各写真をクリックするといただいたサイズの写真(各70KB程)が表示されます。この2基は石造めがね橋ではありませんが、古代メソポタミアで発達した日干しレンガ造りのアーチ橋が石造めがね橋のルーツということで、ここに紹介しました。
レンガには、石に比べ同質同形のものを簡単に揃えることができる利点もあり、明治から昭和初期にかけて、レンガ造りの建造物が次々と造られていきます。煉瓦(レンガ)造りという言葉からは、文明開化とか近代化、西洋建築など、当時のハイカラな響きが伝わってくるとは思いませんか。煉瓦造りの眼鏡橋、他にも残っているかも知れません。捜してみましょう。(2006/01/25)
東間小前石橋の写真とデータは西様からいただきました。合掌型の石橋も、力学的にはアーチ橋(めがね橋)と思っています。(2007/12/17)