氷川町野津地区は江戸時代の「野津村」です。野津村は肥後の石工の有力な一派「野津石工」の里でも。石橋が残っているのは高速道路東側の八代市東陽町石匠館へと続く峠の手前にあたります。2005年10月1日、宮原町と竜北町が合併し氷川町が誕生、氷川町内には合わせて6基のめがね橋が確認されています。
本サイトを閲覧された ryo様より「竜北町(現氷川町)にも眼鏡橋が3基残ってる!」と教えて頂き、知りました。最初はでは2基しか探し出せませんでした。残りの「吉無田橋」については、後日、竜北町学校教育課をお訪ねし、ご指導を得ました。各石橋のデータや情報も頂戴することができました。3基とも、架橋年や石工は不明のようですが、戴いた資料の中で、石橋研究家の村上成功さんが「藤原林七が小川の商人の世話で長崎から北種山村)西原(現八代市東陽町に落ち着くことが出来た。このことを聞いていた長男の嘉八が、お礼の意味も込めて西原と小川の間に眼鏡橋を架設したのでは。年代は文政〜天保の頃(1820〜1835)嘉八が30〜45歳の頃では」と述べられています。 |
ところで、紹介した3基の石橋とも、コンクリートと夏草に覆われてしまい、アーチの美しさが見えないのが残念です。いつの日か、コンクリートを取り除き、元の姿に復元されることを期待します。最後に、石橋の場所等を親切に教えて下さった地元のご夫婦をはじめ、道の駅や学校教育課の皆さま、いろいろありがとうございました。(2005/07/05)
最終更新:2005/10/02
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