氷川町(旧竜北町)の石橋

 氷川町野津地区は江戸時代の「野津村」です。野津村は肥後の石工の有力な一派「野津石工」の里でも。石橋が残っているのは高速道路東側の八代市東陽町石匠館へと続く峠の手前にあたります。2005年10月1日、宮原町と竜北町が合併し氷川町が誕生、氷川町内には合わせて6基のめがね橋が確認されています。


 
蟇田(ひきた)橋 八代郡氷川町蟇田(中大野)
 N 32゜34′17″ E 130°42′26″ 高度36m 橋長:5.5m 橋幅:2.7 拱矢:2.1 径間:3.5
 道の駅「りゅうほく」北側の交差点を東進(1.7km)、高速道路の200m先を左折(北進)800mの十字路の左方向、高速道路との中間に。道路上(右上写真は西側から撮影)からはコンクリートに覆われ判らないが、コンクリートの下にアーチは健在。(撮影:2005/07/03)
吉無田(よしむた)橋 八代郡氷川町御講田(おこだ)
 N 32゜34′00″ E 130°42′40″ 42m 橋長:3.54 橋幅:2.68 拱矢:0.92 径間:2.6
 蟇田橋より東へ700m程進み、道路が直角に右折する地点の小川に架かる。写真では草に覆われ輪石は見えないが、アーチは健在。(撮影:2005/07/05)
新開(しんかい)橋 八代郡氷川町本山
 N 32゜33′35″ E 130°43′08″ 75m 橋長:5.6m 橋幅:2.88 拱矢:1.6 径間:3.1
 吉無田橋を左に見て、右側の橋を渡って東進300m、更に東陽村へ向かう道路を300mで左折、200m程で右折、本山農村公園(ゲートボール場)先左手の谷に架かる。途中、採土場への案内板(左上写真マウスオン)が数ヶ所、採土場の左先でも。(撮影:2005/07/03)

 本サイトを閲覧された ryo様より「竜北町(現氷川町)にも眼鏡橋が3基残ってる!」と教えて頂き、知りました。最初はでは2基しか探し出せませんでした。残りの「吉無田橋」については、後日、竜北町学校教育課をお訪ねし、ご指導を得ました。各石橋のデータや情報も頂戴することができました。3基とも、架橋年や石工は不明のようですが、戴いた資料の中で、石橋研究家の村上成功さんが「藤原林七が小川の商人の世話で長崎から北種山村)西原(現八代市東陽町に落ち着くことが出来た。このことを聞いていた長男の嘉八が、お礼の意味も込めて西原と小川の間に眼鏡橋を架設したのでは。年代は文政〜天保の頃(1820〜1835)嘉八が30〜45歳の頃では」と述べられています。

  ところで、紹介した3基の石橋とも、コンクリートと夏草に覆われてしまい、アーチの美しさが見えないのが残念です。いつの日か、コンクリートを取り除き、元の姿に復元されることを期待します。最後に、石橋の場所等を親切に教えて下さった地元のご夫婦をはじめ、道の駅や学校教育課の皆さま、いろいろありがとうございました。(2005/07/05)

最終更新:2005/10/02


 
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