甲佐町の石橋3

緑川流域の鮎と水と緑の里、甲佐町に残る石橋。 甲佐の石橋1 甲佐2
龍野から御船町に抜ける異なる二つの峠近くの大峯と六谷!


  
大峯(おみね)の石橋 (N 32゜41′10″ E 130°49′09″ 標高54m)
甲佐町大峯 橋長:約4m 橋幅:約2 径間:約2.5
龍野小学校から北進1500m程の地点(上大峯集落)。写真のように、すぐ下流にコンクリート新橋(右上写真の左部分)、その陰となり草にも覆われ(右上写真の右側の低くなった部分)見つけ難い。石橋研究家の浦田様から情報を頂き、3度目の探索で発見(?)。めがね橋とも見えるが、残念ながら雨で増水のため輪石は未確認。次回の楽しみと。周囲の方もご存じないようでした。(撮影:2006/06/25)
7月15日、橋下に降りて確認(左上の写真)したら、めがね橋ではありませんでした。正確に調査したものではないが「擬似アーチ式石橋(持ち送り式石橋)」と思われます。右上の図(想像図)のように、両岸から3列の石を迫り出し、その上を4列の桁石を通している構造。アーチ橋とは違いますが、めがねやアーチの変遷を知る上で貴重な石橋かと思います。桁橋を造ろうとしたが、石の長さが足らず迫り持ち式にしたのでしょうか。大津町等の一列が輪石3個で構成されているリブアーチ式眼鏡橋と似ていますが、根本的に違うようです。専門家の詳しく調査に期待します。なお、右上図の石垣・迫り出し石・桁石の構造はあくまでも推測で、縮尺や比率も大まかなものです。(2006/07/15) 迫り出し石6本の見えている部分の長さは約65cm、幅は左岸の3本は38、55、50cm、4本の桁石の最小径間(上部、迫り出し石間)は160cm、最大径間(下部、石垣間)250cm、幅はそれぞれ45、26、40、45cm、厚さは17〜25cm。(計測:2006/07/27)
 
六谷(ろっこく)の石橋 (N 32゜40′52″ E 130°51′11″ 標高210m)
甲佐町六谷 龍野小学校下を県道152号を東進、峠を越えた集落の中にひっそりと佇む石桁橋。写真のように片岸(左岸)だけが持ち送り式の石橋(右上写真のマウスオンに概略図あり)、元々桁石は3本だったが今は2本(幅はそれぞれ43cm、長さ210cm)、橋長3m、橋幅0.9m。大峯のものと構造も似ている、架橋時期や石工も同系かとも。大峯のは土や草で覆われてはっきり見えないが、六谷の石橋から推測できるかと、ここに紹介します。「他にめがね橋は?」とお尋ねしながら探してみましたが、元はめがね橋(?)だたtかというのもありましたが・・・。ところで、六谷への峠越えの森林と渓谷、熊本市から20kmですばらしい水と緑が、自然豊かな熊本に感激!更には、橋を調べていたら「お茶でもいかが!」と、まさに熊本バンザイ!(撮影:2006/07/31)
マウスオンは翌日5日に撮影 桁石は3本だが,1本は落ち,コンクリートに
下大峯(しもおみね)の石橋 (N 32゜40′45″ E 130°49′14″ 標高40m)
甲佐町上早川 橋長:約5m 橋幅:約2.5m(コンクリート拡幅部分が約1m) 
龍野小学校北側の龍野川を渡って北進500mほどの新道の右手の旧道に架かる。上で紹介した上流にある大峯の石橋とほぼ同じ「擬似アーチ式石橋(持ち送り式石橋)で,めがね橋ではありません。架橋時期や石工も同じかも知れません。すぐ前の新道ができた5年ほど前にコンクリートで拡幅されたらしい。以前,大峯橋を探すとき,この橋も覗いたのだがコンクリート部分だけ見て見過ごしていました。今回、贄田様から情報を頂きました。(撮影:2009/04/04,05)
 
甲佐の石橋地図

 昔は町内至るところにあったが、河川改修や道路拡張工事により、昭和30〜40年代に次々と撤去されていったとのこと。現在では緑川上流域に7基が残るだけかと思っていたが、大峯(?)にも。更には「六谷にも!」との情報を得て現地を訪れましたが・・・。往還目鑑橋解体 甲佐の石橋1 甲佐2

 左の地図は、各石橋の場所を大まかに示すもので、縮尺等は正確ではありません。
最終更新:2009/04/05
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
緑川1 荒尾 山鹿 菊陽 白水 中央 砥用 宇土 人吉 水俣 大分
他の1 南関 菊池 大津 一の宮 445 甲佐 松橋 東陽 田浦 天草 長崎
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