天草の石橋1

天草の石橋2 天草3 天草4


2006/03/27、天草は苓北町以外の各市と町が合併し、天草市となりました。

 天草と言えば、青い海とキリシタン遺跡と海の幸・・・等のイメージですが、国の重要文化財に指定された古い石橋も残っております。天草の石を使って、天草の石工たちが架設していったもので、天草が誇る貴重な文化財です。本渡市下浦町「石場」地区、その地名の由来、まさに石にまつわる歴史と伝統の名残とのことです。下浦石工の祖は、宝暦10年(1760)頃、元肥前国白石の藩士松村五郎左右衛門が下浦で石工技術を伝えたのが始まりといわれています。以下、旧本渡市内にある石橋を紹介します。以下の写真は、2006/04/02に再撮影してきたものです。以前撮影したものはこちらに


 
クリックすると案内板の写真! クリックすると案内板の写真!
祇園(ぎおん)橋 
天草市船之尾町 
N32゜27′11″E130°11′26″高5m
架橋:天保3年(1832)石工:下浦村の石屋辰右衛門 橋長:28.6 橋幅:3.3 アーチではなく桁橋で、天草で最も古い石橋。石桁橋として国内でも最大級の石橋、八坂神社の前にあることから「ギオンバシ」と。平成9年12月12日国指定重要文化財
 
施無畏(せむい)橋
天草市本渡町 
N32゜27′31″E130°10′12″高16m
架橋:明治15年(1882) 石工:大塚光治、錦戸才松、三山織平 橋長:22.15 橋幅:3.15 明治4年に最初の橋が出来、崩壊のため再建。河川改修での撤去計画を地区住民らの陳情により撤回された経緯もあるとのこと。
クリックすると案内板の写真! クリックすると案内板の写真!
市ノ瀬(いちのせ)橋
天草市下河内下向
N32゜28′20″E130°10′05″高27m 
架橋:明治24年(1891)頃 石工:大塚光治ほか3名 橋長:22.2 橋幅:4.6 架橋は明治15年だが、19年7月の洪水で倒壊、その後再建。北側に新道(県道44号線)と新橋があるが、こちらも車が通る。広瀬川の清流と周囲の緑がすばらしい。
 
志安(しあん)橋
天草市亀場町食場 
N32゜26′05″E130°10′38″高26m
架橋:明治15年(1882) 橋長:8.8 橋福:3 径間:7.1 国道266号線を牛深方面に進むと、ジャスコの先を左に入った宇土川に架かる。架橋世話人は大塚光治、横山為吉、大塚芳太郎、同 要太郎、同 孫市 と親柱に。

 

 旧本渡市外にも、旧河浦町(轟橋)、苓北町(寺橋)、旧五和町(馬場の石橋)、旧牛深市(寺橋)などが残っており、それぞれ天草独自の石橋文化を残しています。
 なお、今回の石橋巡りでは、石橋の場所が解らなくて尋ね歩いたのですが、車で先導していただいたり、知っている方を連れてきていただいたり、何人もの方々のお世話になりました。本渡歴史資料館では資料を紹介していただきました。人情味豊かな風土がこれらの石橋を守り続けているのだと実感しました。感謝申し上げます。

写真撮影:2006/04/02 最終更新:2007/10/29
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
緑川1 荒尾 山鹿 菊陽 白水 中央 砥用 宇土 人吉 水俣 大分
他の1 南関 菊池 大津 一の宮 445 甲佐 松橋 東陽 田浦 天草 長崎
最古橋 鹿北 菊鹿 植木 小国 矢部 豊野 小川 八代 芦北 円通寺 山形
熊本 三加和 玉名 長陽 産山 御船 宮原 三角 坂本 津奈木 福岡 海外

肥後の石橋へ  いろいろな石橋紹介