天草の石橋2

天草の石橋1 天草3 天草4

2006/03/27、天草は苓北町以外の市や町が合併し、天草市となりました。

 引き続き、天草の石橋を紹介する前に、注目すべき話を紹介しておきます。
 天草の石橋を語るなかで、特筆することがあります。前ページに記したように、天草独特の「下浦石工」の存在です。この下浦石工の業績は天草の石橋ばかりでなく、長崎の風景を代表するオランダ坂等の石畳等にも残されております。天草の石工たちが天草の石を使って築いたものです。
 長崎の大浦天主堂は、日本に現存する最古の洋風協会建造物として国宝に指定されています。この天主堂もまた、天草人の手で築かれています。1864年(元治元年)、大浦天主堂建設の計画をしたフヒューレ神父は、当時外国人住宅の施工を手掛けていた天草五和町御領の大工・小山秀之進に建設を依頼します。神父より渡された天主堂姿図をもとに、秀之進は創意工夫と持てる技術を結集します。翌1865年に完成します。幻想的な光りと空間構成は、今でも訪れる人々に感動をもたらしております。また、グラバー邸・リンガー邸・オルト邸・出島オランダ石蔵なども、小山秀之進が手掛けたもので、それらの付帯工事としての取り付け道路にも天草の下浦石が使用され、下浦石工の技術がいかんなく発揮されています。
 異国情緒あふれる長崎の風景にも、天草の先人達の力が生かされていたのです。
(以上、旧本渡市観光協会:0969−23−1111発行の冊子「あまくさまうす」を参考にしました)
 
 
馬場の石橋
天草市五和町大字御領字馬場
橋長:3m 橋幅:1.2m
1列が2個の輪石を縦に並べて組み合わせた単純なリブアーチ式石橋。石橋の原形というべき存在かも知れません。江戸中期の架橋と推定され、石工も不明。現在では車が通れるように橋幅を広げ、コンクリート舗装されており、上部からは石橋とは解らない。写真は川下より撮影。
国照寺の石橋(寺橋)
天草郡苓北町志岐
嘉永年間(1848〜53)架橋と推定されています
橋長:5m 橋幅:3.6m
国照寺の参道にある門前橋で、中央部を石桁で支える桁橋。苓北町から下田温泉に向かう389号線添いから国照寺の看板を左折。
 平成12年1月7日撮影 
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 
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