宇土の石橋2

「宇土の石橋1」に紹介したのもあるが
網津川添いの6基のめがね橋と1基の馬門石製桁橋!


  
平原橋 石橋は支流にかかる
平原(ひらばる)橋
宇土市網津町平原
架橋:大正初期 橋長:4.1 橋幅:1.9
N 32゜41′18″ E 130°36′01″高17m
国道57号線から県道58号に入り、「あじさいの湯」前を浄蓮寺方向へ200m程進んだ地点に、コンクリートで大きく拡幅された新橋の隅にひっそり。
馬門(まかど)橋
宇土市網津町馬門
架橋:不明 橋長:5.5 橋幅:2.5
N 32゜41′14″ E 130°35′48″高10m
県道58号線を走り、左にあじさいの湯を見、少し過ぎた付近、右手から網津川へ流れ込む支流に架かる。すぐ横の網津川にはコンクリートの馬門橋。
 
馬立(またて)橋 割井川(わりいがわ)?橋 
宇土市網津町馬立
架橋:不明 橋長:7.2 橋幅:3.9
N 32゜40′54″ E 130°35′47″高28m
馬門橋から更に県道58号線を進んだ網津川に架かる。右の馬立橋も同じだが、全面コンクリートで覆われ輪石は見えない。
網引(あびき)橋 馬立(またて)?橋
宇土市網津町馬立
架橋:不明 橋長:7.1 橋幅:4.2
N 32゜40′49″ E 130°35′45″高34m
割井川橋より300m程上流の県道58号左手の旧道に架かる。すぐ横の新道に架かるコンクリート橋の名称は「網引橋」である。
 
マウスオンは下流から(2010/01/31)
中原(なかはら)橋 タカフネ?橋
宇土市網引町猪白
架橋:不明 橋長:約5 橋幅:約2
N 32゜40′25″ E 130°35′46″高49m
馬立端を更に県道58号線を進み、県道から猪白集落へ左折した田んぼの中の旧道に架かる。
網引(あびき)眼鏡橋 猪伏(いぶし)?橋
宇土市網引町猪白
架橋:不明 橋長:7.3 橋幅:2.8
N 32゜40′17″ E 130°35′46″高58m
中原橋の200m程上流、網引川最上流の美しい眼鏡橋で、猪白(いびゃく)橋とも。
 
牧川の石橋,上流側と下流側(マウスオン) 馬門橋西方の大歳神社と牧川橋上方の赤石神社(マウスオン)
牧川の石橋
宇土市網津町馬門
架橋:不明 橋長:2.5 橋幅:1.3
N 32゜41′16″ E 130°35′36″高25m
馬門橋から網津川の支流を石切り場方向に300m程遡った地点に注ぐ更に小さな支流に架かる赤い馬門石製の小さな桁橋(住宅敷地内)
大歳神社と赤石神社(マウスオン)
大歳神社の鳥居も赤い馬門石。牧川の石橋は、現在では個人敷地から通じる草むらの中の廃道沿いにあるが,元々は赤石神社参道(?)の石橋かとも。馬門石は江戸時代は細川藩の管理下に置かれるなどの貴重品、特に赤い石は珍重され、神様としても祀られたのでしょう。

 本ページで紹介していた橋名が,宇土市教育委員会のパンフレット「宇土馬門石歴史散歩(2005年3月)」と異なっていました。橋名に?を付けている方がパンフレットの橋名です。地元が発行しているパンフレットに統一すべきと思っています。(2008/03/24)

 宇土市網津町馬門は1500年も昔の近畿地方の古墳から出土した石棺にも使われていた馬門石のふるさとです。9万年前の阿蘇の噴火で流れ出た火砕流が冷えて固まって出来た阿蘇熔結凝灰岩のうち,この馬門地区で産したものが馬門石で,特に赤い石(阿蘇ピンク石)は珍重され,単に馬門石と言えば赤色の石を指すとのこと。石質は柔らかく,加工しやすいのが特徴とのことです。宇土周辺の石橋を始めとする様々な石造建造物に利用されています。しかし,昭和30年代までに掘り尽くされ,今では本格的な切り出しは行われていないようです。

写真撮影:2004/12/23
(牧川と神社は2010/01/31)

石橋巡りで、車が立ち往生し
途方にくれていた時、近くの猪白の
みなさまに助けていただきました。
本当にありがとうございました。

左の地図は、各石橋の場所を
大まかに示す略図であり、
縮尺等は正確ではありません。
最終更新:2010/01/31

<制作>熊本国府高等学校PC同好会
 

 
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