熊本文学散歩


阿蘇の文学碑を訪ねて

 世界最大級のカルデラ阿蘇、多くの文学者が行き交っています。阿蘇の自然を愛し、様々な思いの中、すばらしい歌や句を残しており、その文学碑も多い。その中から幾つかを紹介します。


 阿蘇町内牧温泉より北外輪山を登った大観峰に

大観峰の碑
「大観峰」徳富蘇峰
屏列群峰作外輪
天成畫本此披陳
一邸一壑何須説
請看蘇山面目真
 
阿蘇五岳を取り囲む外輪山、その北外輪に出っ張るのが大観峰。大正11年、当時の内牧町長の要請により、徳富蘇峰が大観峰と命名。
 
吉井勇の歌碑 高浜虚子の句碑
吉井勇の歌碑
大阿蘇の山の煙はおもしろし
   空にのぼりて夏雲となる
阿蘇市の中央公園には
白秋もわれもしととに濡れにけり
   山荒るる日の阿蘇のよな雨
高浜虚子の句碑
秋晴れの大観峰に今来り
 昭和27年11月、小国を訪れた後、大観峰に登って、この句を。紀行文「小国」より。
 

大観峰を下った内牧温泉には 

漱石宿泊の部屋 漱石の句碑(ホテル山王閣の庭)
行けど萩ゆけどすすきの原広し
二百十日寄稿の宿
写真は夏目漱石宿泊の部屋
(阿蘇市内牧温泉ホテル山王閣)
阿蘇登山にて、明治32年8月30日宿泊した部屋は、
ホテルの庭に漱石館として復元されています。

ビールはないが、えびすなら・・・」のシーンが
思い浮かびます。ビール瓶が2本置いてあります。
 

阿蘇市坊中キャンプ場にも、漱石の句碑と歌碑が!(撮影:2003/08/17)

漱石の句碑 漱石の歌碑
阿蘇駅前の登山自動車道を登り、坊中キャンプ場の先(南)の左手200mほどに
灰に濡れて立つや薄と萩の中
行けど萩ゆけどすすきの原広し
句碑(中央)の拡大写真(74kb)
登山道からの進入路近くに歌碑が、漱石の歌碑は珍しいのでは、句碑(左写真)の左側にこの短歌の解説
赤き烟 黒き烟の二柱
      真直に立つ 秋の大空
歌碑の拡大写真(62kb)
キャンプ場上方の文学碑 一番奥(東方)の文学碑
登山道横の草原の中に数台分の駐車スペース、そこから東方数百メートルの間に5〜6基の石碑。秋には「行けど萩ゆけどすすきの原広し」が体感できるかと・・・
 

宗不旱の歌碑

内牧温泉黒川河畔の道智寺裏に

内之牧朝闇いでて湯にかよふ道のべに聞く田蛙のこえ

 不旱は昭和17年5月、内牧の達磨旅館に泊まった後、鞍岳山中で消息を絶つ。この歌は不旱絶筆の歌となった。 阿蘇市的石隼鷹天満宮にあるのが

隼鷹の宮居の神はやぶ中のいしのかげにておはしけるかも

与謝野鉄幹・晶子の歌碑
霧の色ひときは黒しかの空に ありて煙るか阿蘇の頂(鉄幹)
うす霧や大観峰によりそひて 朝がほのさく阿蘇の山荘(晶子)

 昭和7年、与謝野鉄幹・昌子夫婦は別府・久住をまわり、内牧温泉の永田宅(現蘇山郷)に宿泊。そこに夫妻の歌碑が。


松尾芭蕉の句碑
春もややけしきととのふ月と梅(内牧温泉満徳寺の庭園)
酒飲めばいとど寝られぬ夜の雪(同 西巖殿寺)
芭蕉の句碑があるということは、俳句が盛んな土地の証、それも同地域に2基も。
 


五足の靴の文学碑(撮影:2005/10/23)

 
クリックすると案内板の拡大画像が
 南阿蘇村垂玉温泉の旅館の駐車場に。明治40年(1907)の夏、与謝野鉄幹と、その同人である北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の「5人の詩人」の九州旅行記が「五足の靴」。白秋のふるさと柳川から長崎、天草、熊本を経て阿蘇登山、その時ここに宿泊。旅行記「五足の靴」の熊本県内の部分の抜粋がこちらに。
 

若山牧水の歌碑も南阿蘇村に 最終更新:2005/11/10


<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

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