世界最大級のカルデラ阿蘇、多くの文学者が行き交っています。阿蘇の自然を愛し、様々な思いの中、すばらしい歌や句を残しており、その文学碑も多い。その中から幾つかを紹介します。
阿蘇町内牧温泉より北外輪山を登った大観峰に
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阿蘇五岳を取り囲む外輪山、その北外輪に出っ張るのが大観峰。大正11年、当時の内牧町長の要請により、徳富蘇峰が大観峰と命名。 |
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吉井勇の歌碑
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高浜虚子の句碑
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大観峰を下った内牧温泉には
漱石の句碑(ホテル山王閣の庭)
写真は夏目漱石宿泊の部屋 (阿蘇市内牧温泉ホテル山王閣) 阿蘇登山にて、明治32年8月30日宿泊した部屋は、 ホテルの庭に漱石館として復元されています。 「ビールはないが、えびすなら・・・」のシーンが 思い浮かびます。ビール瓶が2本置いてあります。 |
阿蘇市坊中キャンプ場にも、漱石の句碑と歌碑が!(撮影:2003/08/17)
阿蘇駅前の登山自動車道を登り、坊中キャンプ場の先(南)の左手200mほどに
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登山道からの進入路近くに歌碑が、漱石の歌碑は珍しいのでは、句碑(左写真)の左側にこの短歌の解説も
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登山道横の草原の中に数台分の駐車スペース、そこから東方数百メートルの間に5〜6基の石碑。秋には「行けど萩ゆけどすすきの原広し」が体感できるかと・・・ |
宗不旱の歌碑
内牧温泉黒川河畔の道智寺裏に
内之牧朝闇いでて湯にかよふ道のべに聞く田蛙のこえ |
不旱は昭和17年5月、内牧の達磨旅館に泊まった後、鞍岳山中で消息を絶つ。この歌は不旱絶筆の歌となった。 阿蘇市的石隼鷹天満宮にあるのが
隼鷹の宮居の神はやぶ中のいしのかげにておはしけるかも |
与謝野鉄幹・晶子の歌碑
霧の色ひときは黒しかの空に ありて煙るか阿蘇の頂(鉄幹) | |
うす霧や大観峰によりそひて 朝がほのさく阿蘇の山荘(晶子) |
昭和7年、与謝野鉄幹・昌子夫婦は別府・久住をまわり、内牧温泉の永田宅(現蘇山郷)に宿泊。そこに夫妻の歌碑が。
松尾芭蕉の句碑
春もややけしきととのふ月と梅(内牧温泉満徳寺の庭園) | |
酒飲めばいとど寝られぬ夜の雪(同 西巖殿寺) |
五足の靴の文学碑(撮影:2005/10/23)
南阿蘇村垂玉温泉の旅館の駐車場に。明治40年(1907)の夏、与謝野鉄幹と、その同人である北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の「5人の詩人」の九州旅行記が「五足の靴」。白秋のふるさと柳川から長崎、天草、熊本を経て阿蘇登山、その時ここに宿泊。旅行記「五足の靴」の熊本県内の部分の抜粋がこちらに。 |
若山牧水の歌碑も南阿蘇村に 最終更新:2005/11/10
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会