熊本文学散歩


夏目漱石「二百十日」より

 「二百十日」は夏目漱石が第五高等学校の同僚「山川信次郎」との阿蘇登山(明治32年8月29日〜9月2日)を題材にして書かれたと言われています。以下、「二百十日」の一部を抜粋し紹介します。阿蘇内牧温泉の旅館での光景です。「ろくさん」「けいさん」と旅館のお姉さんとの会話、興味深いものがあります。半熟はんじゅく卵やビールのことなど、ほのぼのというか、落語の世界のような面白いやりとりが好きです。本ページの最後に、気づいた疑問を提起させていただきます。

坊中キャンプ場の文学碑「姉さん、この人は肥(ふと)ってるだろう」
「だいぶん肥(こ)えていなはります」
「肥えてるって、おれは、これで豆腐(とうふ)屋だもの」
「ホホホ」
「豆腐屋じゃおかしいかい」
「豆腐屋の癖(くせ)に西郷隆盛(さいごうたかもり)のような顔をしているからおかしいんだよ。時にこう、精進料理(しょうじんりょうり)じゃ、あした、御山(おやま)へ登れそうもないな」
「また御馳走(ごちそう)を食いたがる」
「食いたがるって、これじゃ営養不良(えうようふりょう)になるばかりだ」
「なにこれほど御馳走があればたくさんだ。湯葉(ゆば)に、椎茸(しいたけ)に、芋(いも)に、豆腐、いろいろあるじゃないか」
「いろいろある事はあるがね。ある事は君の商売道具まであるんだが困ったな。昨日は饂飩(うどん)ばかり食わせられる。きょうは湯葉に椎茸ばかりか。ああああ」
「君この芋を食って見たまえ。掘りたてですこぶる美味(びみ)だ」
「すこぶる剛健な味がしやしないかおい姉さん、肴(さかな)は何もないのかい」
「あいにく何もござりまっせん」
「ござりまっせんは弱ったな。じゃ玉子(たまご)があるだろう」
「玉子ならござりまっす」
「その玉子を半熟(はんじゅく)にして来てくれ」
「何に致します」
「半熟にするんだ」
「煮(に)て参(さん)じますか」
「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」
「いいえ」
(*)
「知らない?」
「知りまっせん」
「どうも辟易(へきえき)だな」
「何でござりまっす」
「何でもいいから、玉子を持って御出(おいで)。それから、おい、ちょっと待った。君ビールを飲むか」
「飲んでもいい」と圭さんは泰然(たいぜん)たる返事をした。
「飲んでもいいか、それじゃ飲まなくってもいいんだ。よすかね」
「よさなくっても好い。ともかくも少し飲もう」
宿泊の部屋「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと云うんだろう。姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?君ビールはないとさ。何だか日本の領地(りょうち)でないような気がする。情(なさけ)ない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然(まんぜん)たる挨拶(あいさつ)をする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿(えびす)ならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。その恵比寿はやっぱり罎(びん)に這入(はい)ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
ねえ」と下女は肥後訛(なま)りの返事をする。
「じゃ、ともかくもその栓(せん)を抜(ぬ)いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
ねえ
 下女は心得貌(こころえがお)に起(た)って行く。幅の狭い唐縮緬(とうちりめん)をちょきり結びに御臀(おしり)の上へ乗せて、絣(かすり)の筒袖(つつそで)をつんつるてんに着ている。髪だけは一種異様の束髪(そくはつ)に、だいぶ碌さんと圭さんの胆(たん)を寒(さむ)からしめたようだ。
「あの下女は異彩(いさい)を放ってるね」と碌さんが云うと、圭さんは平気な顔をして、
「そうさ」と何の苦もなく答えたが、
「単純でいい女だ」とあとへ、持って来て、木に竹を接(つ)いだようにつけた。
「剛健(ごうけん)な趣味(さふみ)がありゃしないか」
「うん。実際田舎者(いなかもの)の精神に、文明の教育を施(ほどこ)すと、立派な人物が出来るんだがな。惜しい事だ」
「そんなに惜しけりゃ、あれを東京へ連れて行って、仕込んで見るがいい」
「うん、それも好かろう。しかしそれより前に文明の皮を剥(む)かなくっちゃ、いけない」
「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水瓜(すいか)のような事を云う。
「折れても何でも剥(む)くのさ。奇麗(きれい)な顔をして、下卑(げひ)た事ばかりやってる。それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延(まんえん)させるからね。大変な害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこう云う性根の悪い奴があるものだ」
「しかも、そんなのに限って皮がいよいよ厚いんだろう」
「体裁だけはすこぶる美事なものさ。しかし内心はあの下女よりよっぽどすれているんだから、いやになってしまう」
「そうかね。じゃ、僕もこれから、ちと剛健党の御仲間入りをやろうかな」
「無論の事さ。だからまず第一着にあした六時に起きて……」
「御昼に饂飩(うどん)を食ってか」
「阿蘇の噴火口を観て……」
「癇癪(かんしゃく)を起して飛び込まないように要心をしてか」
「もっとも崇高(すうこう)なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って、齷齪(あくそく)たる塵事(じんじ)を超越(ちょうえつ)するんだ」
「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減(いいかげん)に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越出来そうもないよ」
「弱い男だ」
 筒袖(つつそで)の下女が、盆の上へ、麦酒(ビール)を一本、洋盃(コップ)を二つ、玉子を四個、並べつくして持ってくる。
「そら恵比寿が来た。この恵比寿がビールでないんだから面白い。さあ一杯飲むかい」と碌さんが相手に洋盃を渡す。
「うん、ついでにその玉子を二つ貰おうか」と圭さんが云う。
「だって玉子は僕が誂(あつ)らえたんだぜ」
「しかし四つとも食う気かい」
「あしたの饂飩(うどん)が気になるから、このうち二個は携帯して行こうと思うんだ」
「うん、そんなら、よそう」と圭さんはすぐ断念する。
「よすとなると気の毒だから、まあ上げよう。本来なら剛健党が玉子なんぞを食うのは、ちと贅沢の沙汰だが、可哀想(かわいそう)でもあるから、さあ食うがいい。姉さん、この恵比寿はどこでできるんだね」
「おおかた熊本でござりまっしょ」
「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなか旨(うま)いや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」
「うん。やっぱり東京製と同じようだ。おい、姉さん、恵比寿はいいが、この玉子は生だぜ」と玉子を割った圭さんはちょっと眉をひそめた。
ねえ
「生だと云うのに」
ねえ
「何だか要領を得ないな。君、半熟を命じたんじゃないか。君のも生か」と圭さんは下女を捨てて、碌さんに向ってくる。
「半熟を命じて不熟を得たりか。僕のを一つ割って見よう。おやこれは駄目だ……」
「うで玉子か」と圭さんは首を延して相手の膳の上を見る。
「全熟だ。こっちのはどうだ。うん、これも全熟だ。姉さん、これは、うで玉子じゃないか」と今度は碌さんが下女にむかう。
ねえ
「そうなのか」
ねえ
「なんだか言葉の通じない国へ来たようだな。向うの御客さんのが生玉子で、おれのは、うで玉子なのかい」
ねえ
「なぜ、そんな事をしたのだい」
「半分煮て参じました」
「なあるほど。こりゃ、よく出来てらあ。ハハハハ、君、半熟のいわれが分ったか」と碌さん横手を打つ。
「ハハハハ単純なものだ」
「まるで落し噺(ばな)し見たようだ」
「間違いましたか。そちらのも煮て参じますか」
「なにこれでいいよ。姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。
「ここが阿蘇でござりまっす」
「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日逗留して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。
「どうぞ、いつまでも御逗留(ごとうりゅう)なさいまっせ」
「せっかく、姉さんも、ああ云って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。
「ここも阿蘇だって、阿蘇郡なんだろう」とやはり下女を追窮(ついきゅう)している。
ねえ
「じゃ阿蘇の御宮(おみや)まではどのくらいあるかい」
「御宮までは三里でござりまっす」
「山の上までは」
「御宮から二里でござりますたい」
「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。
ねえ
「御前登った事があるかい」
「いいえ」
「じゃ知らないんだね」
「いいえ、知りまっせん」
(*)
「知らなけりゃ、しようがない。せっかく話を聞こうと思ったのに」
「御山へ御登りなさいますか」
「うん、早く登りたくって、仕方がないんだ」と圭さんが云うと、
「僕は登りたくなくって、仕方がないんだ」と碌さんが打(ぶ)ち壊(こ)わした。
「ホホホそれじゃ、あなただけ、ここへ御逗留(ごとうりゅう)なさいまっせ」
「うん、ここで寝転(ねころ)んで、あのごうごう云う音を聞いている方が楽なようだ。ごうごうと云やあ、さっきより、だいぶ烈しくなったようだぜ、君」
「そうさ、だいぶ、強くなった。夜のせいだろう」
煙をあげる中岳「御山が少し荒れておりますたい」
「荒れると烈しく鳴るのかね」
ねえ。そうしてよながたくさんに降って参りますたい」
「よなた何だい」
「灰でござりまっす」
 下女は障子(しょうじ)をあけて、椽側(えんがわ)へ人指しゆびを擦りつけながら、
「御覧(ごらん)なさりまっせ」と黒い指先を出す。
「なるほど、始終(しじゅう)降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。
ねえ。少し御山が荒れておりますたい」
「おい君、いくら荒れても登る気かね。荒れ模様なら少々延ばそうじゃないか」
「荒れればなお愉快(ゆかい)だ。滅多(めった)に荒れたところなんぞが見られるものじゃない。荒れる時と、荒れない時は火の出具合(でぐあい)が大変違うんだそうだ。ねえ、姉さん」
ねえ、今夜は大変赤く見えます。ちょと出て御覧なさいまっせ」
 どれと、圭さんはすぐ椽側へ飛び出す。
「いやあ、こいつは熾(さかん)だ。おい君早く出て見たまえ。大変だよ」
「大変だ? 大変じゃ出て見るかな。どれ。いやあ、こいつはなるほどえらいものだねあれじゃとうてい駄目だ」
「何が」
「何がって、登る途中で焼き殺されちまうだろう」
「馬鹿を云っていらあ。夜だから、ああ見えるんだ。実際昼間から、あのくらいやってるんだよ。ねえ、姉さん」
ねえ
「ねえかも知れないが危険だぜ。ここにこうしていても何だか顔が熱いようだ」と碌さんは、自分の頬ぺたを撫で廻す。
「大袈裟(おおげさ)な事ばかり云う男だ」
「だって君の顔だって、赤く見えるぜ。そらそこの垣の外に広い稲田があるだろう。あの青い葉が一面に、こう照らされているじゃないか」
「嘘(うそ)ばかり、あれは星のひかりで見えるのだ」
「星のひかりと火のひかりとは趣が違うさ」
「どうも、君もよほど無学だね。君、あの火は五六里先きにあるのだぜ」
「何里先きだって、向うの方の空が一面に真赤になってるじゃないか」と碌さんは向をゆびさして大きな輪を指の先で描いて見せる。
「よるだもの」
「夜だって……」
「君は無学だよ。荒木又右衛門は知らなくっても好いが、このくらいな事が分らなくっちゃ恥だぜ」と圭さんは、横から相手の顔を見た。
「人格にかかわるかね。人格にかかわるのは我慢(がまん)するが、命にかかわっちゃ降参(こうさん)だ」
「まだあんな事を云っている。じゃ姉さんに聞いて見るがいい。ねえ姉さん。あのくらい火が出たって、御山へは登れるんだろう」
ねえい
「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗(のぞ)き込む。
ねえい。女でも登りますたい」
「女でも登っちゃ、男は是非(ぜひ)登る訳かな。飛んだ事になったもんだ」
「ともかくも、あしたは六時に起きて……」
「もう分ったよ」
 言い棄(す)てて、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙然(もくぜん)と、眉(まゆ)を軒(あ)げて、奈落(ならく)から半空(はんくう)に向って、真直(まっすぐ)に立つ火の柱を見詰(みつ)めていた。

 以上、夏目漱石の「二百十日」からの抜粋です。この後2人は阿蘇登山に向かいます。全編も長いものではありませんので、ぜひお読みください。

疑問?!・・・文中に出ている気になる会話
 文中、旅館のお姉さんが「はい」の意味で使う「ねえ」や「ねえい」が気になっています。そのような表現が熊本にあったのでしょうか、私自身、今までは使ったことがありません。ところが、国語大辞典(小学館)によると「人に呼ばれたときなど、応答するのに用いる語」として『ねい』があり、熊本でも使用例がある」ようです。熊本での使用例の出典として「菊池俗言考(永田直行 1854年)や「肥後方言と普通語・言葉改良の栞(玉名郡教育会 1907年)」が紹介されています。県立図書館で調べてみたところ、別の方言関係の書物にも「ねい」の使用例がありました。昔は使っていたのですね。佐賀弁の「ない」とも関連するのではないでしょうか。余談になりますが、韓国語(ハングル)で「はい」は「ネ」、関係ありそうですね。以前「熊本を含む北九州弁のイントネーションや発音の特徴は韓国語によく似ていると感じませんか?」というメールをいただいたこともありました。九州は地理的にも、京都や東京よりずーっと近いのですから、まんざら無関係ではないでしょう。これも興味深いテーマです。
 更に、本文中に出てくる熊本弁(?)で「否定疑問に対する返事」(*)も気になっています。
「その玉子を半熟(はんじゅく)にして来てくれ」
「何に致します」
「半熟にするんだ」
「煮(に)て参(さん)じますか」
「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか
いいえ(*)
「知らない?」
「知りまっせん」  
「御前登った事があるかい」
「いいえ」
「じゃ知らないんだね」
「いいえ、知りまっせん」
(*)
 これは鹿児島弁や英語の用法で、熊本弁にはないものと思っていたのですが、当時は熊本弁にもあったのでしょうか。現在の熊本弁では「じゃ知らないんだね」との否定疑問の質問に対する応答は「はい、知りまっせん」です。それとも、このお姉さんは鹿児島出身だったのでしょうか。碌さんたちも知って(使って)いたことになります。本サイトには熊本弁のページもあり、興味を抱きました。ご存知の方がおられましたら、教えていただければ幸いです

 小説の楽しみ方もいろいろ、疑問に思ったことを調べてみるのも面白そうです。熊本を舞台とした小説等、もっと味わってみたいものです。熊本人でなければ気付かないことが発見できるかも知れません。更には、熊本の風景や人をどう表現しているのか、作者が熊本をどう思っていたのか、興味ありませんか。文学の味わい方としては邪道なのでしょうか。熊本にたっぷり浸っている私たち熊本人が気付かないことを指摘しているかも知れません。熊本再発見に繋がるのでは・・・。

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会


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