蘇った石橋!(木鷺野橋の復元)その1

 
復元決定まで

 石橋を、移転再建のために解体する場合は、支保工(しほこう)をアーチの下に組み、一つ一つの石の位置寸法を記録しながら、丁寧に解体しなければなりません。ところがこの木鷺野橋の場合、災害復旧工事の段階では、再建どころではなく、支保工なしで解体され、そのまま野積みされていたそうです。
 そして、平成8年(1996)、地元木鷺野の有志をはじめ、日本の石橋を守る会、その他多くの矢部町民による復元運動の声がどんどん大きくなっていきます。

 しかし、石橋復元には難関があります。

  1. 費用の捻出はどうするか
  2. 復元技術はあるのか

 経済的効果の見えないものには厳しい予算措置となります。文化遺産としての価値の認識と気運の高まりが地域文化として定着しなければなりません。気運の高まりと熱意が、役場を動かし、県予算を獲得することになります。
 また、木鷺野橋のほかにも、聖(ひじり)橋や北川内橋の復元問題も、手つかずの状態であったことも、気がかりであったようです。
 しかし、復元に向けてのすべての条件が揃うチャンスなど、ほとんどありません。きっかけはできたということで、石橋を守る会は、木鷺野橋の情報収集に取りかかり、関係文献・資料の収集、現地や郷土史家からの聞き取り調査を開始しました。そして復元に必要な貴重ないくつかの記録や写真などが見つかりました。そのほかにも通潤橋構造で残された資料が、石橋の構造や工法を知るヒントとなったということです。準備は着々と整っていきました。
 そして、町緑地広場への移転復元が決まっていったそうです。


構成石の調査
保存されていた構成石37個、それぞれの石の各辺を測定。石には凹凸があり、凹凸のどこをはかるべきか、測定のルール作りも必要。


技の発見
隣り合う石の凹凸がきれいに噛み合って、構成されることはありません。安定させるためには、最低3点が密着する」必要があります。下図の凹凸は大げさに表現してありますが、隣り合う石が隙間なく安定するためには、お互いの石に合端線を越えて凸部があってはならないのです。凸部があると、据え付け調整時に余計な手間暇がかかるので、前もって凹面に仕上げておくことは、石工の知恵です。これから、凸部を基準に測定しなければならない、という新たな測定ルールができました。

配列の推定
木鷺野橋には輪石(わいし)しか残されていませんでしたが、輪石こそ、アーチ橋の構造の基本をなす重要な部分です。この輪石さえ復元できれば、工事の目的も達成できたも同じです。解体当時打たれた連番も半数ほどが消えており、どのような順で並べればいいのか(配列)が一番の問題です。輪石のすべての写真さえ残っていれば、配列は99%解ったも同然です。

ジグゾーパズル
配列を見つける手段に、ジグゾーパズルとは驚きました。パソコンを使って輪石の平面形を並べておき、これを並び替えて組み合わせたということです。測定データの長さ(4辺平均)と幅(2辺平均)の長方形を画面にばらまき、マウスで自由に移動させて組み合わせる「ジグゾーパズル」のコンピュータゲームを作られたそうです。尾上さんはゲーム開始後30分でパズルを完成されたそうですが、お子さんは5分で・・・。しかも、列数は同じだが、尾上さんの列の中の組み合わせが違うのです。列数と幅が一致する組み合わせは、1つではなかったのです。しかし、ジグゾーパズルで、輪石が17列でできているという可能性は裏付けられました。37個の輪石の長さの合計が、33.600m、17で割ると、1.976m。2.100mにはならないが、笠木幅を考えると、復元値に近く、17列であることが再確認できました。

左の赤い長方形を、右の青のように並び替えるゲームです


要件の見落とし
輪石の1列は複数の石で構成されているため、同じ列の輪石の両側の合端線の勾配は、同じはず。また、隣り合う列の複数の輪石の合端線の勾配も、ほぼ等しいはず。さらに、隣り合うすべての列の合端線の勾配は、アーチの中心から放射状に整列するはず。従って、正確な輪石の構成を見いだすためには、輪石の列接着面の勾配(言葉足らないので、図を参照、図のHとX1及びY1の長さ)を新たなデータとして追加しなければならないことが解ったのです。

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<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会