・・・ 石橋は残った! 石橋の構造と架設法、そして復元の意味を考える |
平成9年3月25日、1つの石橋が復元されました。
上益城郡矢部町(現在の山都町)にある木鷺野(きさぎの)橋という、高さ2m、長さ3.5mの小さな石橋(左の写真)です。小さな石橋でも、復元の意味には大きなものがあります。
「肥後の石工」たちの技術が、現代によみがえったのです。伝統技術の伝承という意味でも注目されるべきものがあります。ややもすれば見失われがちな小さな石橋が、今脚光をあびたのです。
ここ矢部町だけでも、通潤橋をはじめとして30基ほどの石橋があったそうですが、今では17基しか残っていないそうです。石橋のふるさと緑川流域では御船の眼鏡橋、鹿児島でも西田橋など、肥後の石工たちが架設していった全国の石橋が次々と姿を消しております。そのほとんどが復元される計画もないようです。
石橋は単なる飾りではありません。人々の生活と密接につながったもので、生活に不都合となったから、消えていくのは当然なのでしょうか?
150年前のハイテク技術集団が造った石橋は、芸術性豊かな文化財としての価値もあります。すばらしい文化財を後世にに受け継いでいくことも、今を生きる私たちの努めであると思います。
ここに、水害の後、取り壊されていた1つの石橋が移転復元され、その復元の工程を紹介して参ります。石橋の価値を再発見し、その姿を守り続けようとする考えが、少しでも広がっていけばと願っております。
本ページ作成にあたっては、資料として、復元工事をされた「矢部町の尾上建設(株)の尾上一哉さん」の工事記録を利用させていただきました。尾上さんの工事記録は、石橋の構造や造り方を含めた貴重なものでした。石橋の構造や築造法を追加したいと、資料を探していた私たちにとって、願ってもないものでした。
まさに現代版「肥後の石工」の尾上さんには、貴重な記録集をお送りしていただいたばかりか、WEB発信の資料としての利用をお許しいただくなど、深く感謝しております。なお、私たちの知識不足のため、専門的な内容をうまく紹介することができなかった部分もあるかと思います。更には、誤字・脱字、間違い等もあるかと思いますが、気付き次第訂正して参る予定です。お気付きの点等、お教えいただければ幸いです。
完成後150年穂を経過した、昭和63年(1988)5月3日のことでした。時間雨量110mmという記録的な豪雨に、木鷺野橋は水没し、川は原形をとどめないほどの被害を被りました。それでも、木鷺野橋の輪石(わいし:アーチを形作る最も大切な石)は残ったのですが、その後の災害復旧工事のため撤去され、野積みされていたものです。 |
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なお、移転地は矢部町下市の緑地広場公園。、矢部町の市街地からすぐ近くで、小川の水遊びもでき、小さな子供にとっても楽しく過ごせる場所です。
上の地図で示すように、熊本市(左側)のほうから行けば、矢部町中心部の東側。国道218号線を、矢部町市街地の標識に従って旧国道に入り、緑地広場を示す小さな看板がありますが、解りにくいかも知れません。矢部町に入られたら、付近の人に尋ねられるほうが無難でしょう。
(注意:2005年2月11日、上益城郡矢部町は蘇陽町や清和村と合併、上益城郡
それでは尾上さんの記録をもとに、以下の4ページに分けて紹介させていただきます。
復元その1 | 復元その2 | 復元その3 | 復元その4 |