熊本文学散歩


曾孫であられる小泉凡先生に書いて頂きました

2000年は生誕150年の記念すべき年、記念の催しがいろいろありました。
2003年9月26日は100回忌にあたりました。
2004年も没後100年の行事が!


Lafcadio Hearn
 明治24年(1891)11月、熊本大学の前身である第五高等中学校(明治27年、第五高等学校と改称)の英語教師として、島根の松江中学校から赴任、明治27年(1894)10月までの3年間を、熊本で暮らしました。Lafcadio Hearn(日本名 小泉八雲)は、日本女性を妻に持ち、長男も熊本で誕生しています。

 熊本の風土、五高の学生に親近感を持ち、『The Future of the Far East(極東の将来)』と題しての講演(記念碑が熊大構内に、下に写真と碑文)は学生、職員たちに感銘を与えました。日本を世界に紹介した「知られぬ日本の面影」、「東の国から」などの著書は、熊本での生活から生み出されたものです。

(1850年6月27日生 1904年9月26日没)

 左の写真は、来日前の39才の時(1889年頃)、アメリカで撮影されたものです。八雲は16歳の時失明した左眼を写されるのが嫌で、両眼が写っている写真は稀とのこと、小泉凡先生より提供頂きました。
 

熊本大学
黒髪キャンパスの碑
拡大写真(195KB)
記念館庭のレリーフ
(下記地図の場所)
碑文は下記英文
碑文和訳
THE FUTURE GREATNESS OF JAPAN
WILL DEPEND ON THE PRESERVATION OF
THAT KYUSHU OR KUMAMOTO SPIRIT
- THE LOVE OF WHAT IS PLAIN AND GOOD
AND SIMPLE, AND THE HATRED OF USELESS
LUXURY AND EXTRAVAGANCE IN LIFE
January 27,1894
Lafcadio Hearn

『The Future of the Far East(極東の将来)』の「原文」「日本語訳」の全文があります。
「中国語訳」「韓国語訳」も、日本語訳については音声版(朗読)も。

 八雲が來熊した当時の熊本は、西南戦争(明治10年)の後で、戦争の焼け跡から復興し、急速に西洋化されつつあった殺風景な町でした。古来の家並みが消え、近代化されつつある町並みに失望したのは事実でした。しかし、質実剛健で、感情をあまり表に現そうとしない熊本人魂や、路地裏の地蔵祭りなどの伝統的な風俗とか、飾らない行商人との会話などに特に興味をいだいていたようです。 

 
彼が熊本に赴任後、最初に住んだ家は、八雲記念館として、熊本市安政町(鶴屋デパートの真裏)に保存されています。(左略図)
中は当時の面影そのままで、愛用の机や神棚などが残されています。
八雲記念館(旧居)
愛用の机やいす、手紙など様々な資料が置かれ、八雲の生活ぶりが見えるようです。和式をこよなく愛した先生も、机だけは洋式の特注品だったとのことです。さすがに長時間の正座は苦手だったのでしょう。
熊本大学裏、立田山の上り口「小峯墓地」に、八雲が愛した石仏「鼻かけ地蔵」が今もひっそり建っています。旧制五高教師だった八雲は、この石仏が大変気に入り、暇を見つけてはここに足を運び、石仏と語るのが好きだったとのこと。熊大、小峯墓地、立田山一帯は、文学碑や旧跡も多く、市民憩いの散策コースとなっています。

 熊本での3年間にハーンが執筆した作品は「石仏」「橋の上」「九州の学生たち」「停車場にて」「願望成就」「夏の日の夢」など数多くあります。1893年7月、長崎旅行からの帰途、立ち寄ったのが三角西港、旅館「浦島屋」で休息をとります。この旅を素材に執筆したのが「夏の日の夢」、その舞台となった三角西港は現在の宇城市三角町。三角西港一帯は、明治の建物を集めたレトロ公園となっており、浦島屋もきれいに復元されて残っています。

 左右の写真は、宇城市の三角西港に残されている浦島屋(「夏の日の夢」に登場する旅館を復元したもの)で、当時の様子が紹介されている。
 左右の写真は、2004年秋、没100年を記念して熊本大学黒髪キャンパスに整備されたレリーフ(9/25除幕式)と記念碑(体育館横から移築)。

 本ページの題字「小泉八雲」は、曾孫で、島根県立島根女子短期大学の小泉凡先生に書いて頂きました。電話での不躾な願いを快く聞き入れて頂き、心より感謝しております。100年の時を隔てた偉大な文豪に対して、妙に親近感さえ抱き始め、人間「小泉八雲」への興味が、更に深まってきています。ところで、小泉八雲と改名したのは熊本を離れた翌年の明治28年(1895)で、本ページタイトルは Lafcadio Hearn とすべきところですが、親しみを込めて「小泉八雲」としました。

Lafcadio Hearn 紹介と掲示板が http://www.trussel.com/f_hearn.htm にも
文献目録が http://www.toyama-u.ac.jp/tya/library/lhrcat.html に
リンク集なども http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/index.html に
小泉八雲探訪(東京編)もあります

 
『極東の将来』 はじめに 『極東の将来』 日本語訳 THE FUTURE OF THE FAR EAST 原文
『極東の将来』の中国語訳 「遠東的未来」 『極東の将来』の韓国語訳
 最終更新:2007/09/13
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

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