石橋記念公園と石橋記念館!

鹿児島県立石橋記念館(鹿児島市浜町1-3 TEL:099-248-6661)

 鹿児島市内を流れる甲突川には、上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の五つの大きなアーチ石橋が架かり、「甲突川の五石橋」と呼ばれて親しまれていました。この五石橋は江戸末期に城下整備の一環として架けられたもので、薩摩藩の財政改革の成功と肥後から招かれた名石工「岩永三五郎」によって架橋が実現した歴史的所産です。
 しかし、平成5年8月6日の集中豪雨による洪水で、五石橋のうち新上橋、武之橋が流失、他の3橋も河川改修に合わせて移設・保存されることになりました。平成12年4月、西田橋、高麗橋、玉江橋を移設復元するとともに、五石橋の歴史や技術を伝える石橋記念館を附設した石橋記念公園が開園しました。

  • 石橋記念公園:常時開園
  • 石橋記念館:
    • 午前9:00〜午後5:00
      7、8月は午後7:00まで
    • 休館日:毎週月曜日
      月曜日が休日の場合は翌日
      年末年始(12/31〜1/2)
    • 入場無料
  • 問い合わせ先:
    • 鹿児島県立石橋記念館
      鹿児島市浜町1-3
      TEL 099-248-6661
 受け付け前のガイダンスホールでは、石橋移設の歴史紹介や石橋に関する情報が自由に閲覧検索できる。
 展示室には、五石橋の歴史や架橋技術について、大型マルチ映像・ジオラマ・ミラービジョンなどで解りやすく展示してある。
 公園には、西田橋、高麗橋、玉江橋及び西田橋御門が復元されており、石工「岩永三五郎」の銅像も建てられている。
西田橋
 橋長:49.5m 橋幅:6.2m 架橋:1846年 四連アーチ 建設費:7,127両(当時)
 橋の先に見えるのが、同時に復元された御門。鹿児島城下の玄関口として藩の威光を誇示した橋で、石工岩永三五郎の代表作でもある。高欄(欄干)には青銅擬宝珠を冠するなど、五大石橋の中でも最も費用を使い(他の4橋の約3倍、他は玉江橋の1560両から高麗橋の2800両まで)、豪華に造られている。
高麗橋
 橋長:54.9m 橋幅:5.4m 架橋:1847年
 五石橋のうち3番目に架けられた橋で、それまでの橋に比べ、上流側の水切り石が垂直に近い勾配で立ち上がっている。
玉江橋
 橋長:50.7m 橋幅:4.0m 架橋:1849年
 五石橋のうち最後に架けられた橋で、最上流に位置し、洪水で水切り石がたびたび被害を受けて補修・補強されている。
写真は平成12年12月26日撮影
以上、石橋情報と地図は石橋記念館の許可を戴き、記念館のパンフレットを参考・利用致しました。

 新上橋と武之橋が洪水のため流失していますが、なぜでしょうか。元々の橋は太鼓状に中央部が高くなっており、増水のときは水を両岸に流し、橋を流失から防ぐ構造でした。明治以降、車の通行量が増加すると急勾配では不便なため、両側の壁石を積み上げ勾配を緩やかにしています。そのため増水時に水の逃げ道がなくなり橋が流失したのです。岩永三五郎たちの設計に間違いは無かったのです。
 流失した新上橋と武之橋の復元も望みたいものですが、肥後の石工たちが誠心込めて架橋した石橋が末永く保存されることになったことはうれしいことです。郷土の文化遺産を次世代に残そうと、移築復元に取り組んだ鹿児島の事業に敬意を表します。公園と記念館の建設事業に、鹿児島県と鹿児島市が総額100億円もの予算を投じたということです。今度は我が熊本でも、期待は高まります。「御船川目鑑橋等の復元を!」声を大にして叫びたいものです。

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会(最終更新:2007/11/14)

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