熊本文学散歩


種田 山頭火たねだ さんとうか

まったく 雲がない 笠をぬぎ
  と、熊本市野田町の大慈禅寺だいじぜんじ境内に、山頭火の句碑(左下の写真)があります。

山頭火の人形大慈禅寺にある山頭火の句碑 世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行脚(あんぎゃ)の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火は、行乞ぎょうこつ(お坊さんが乞食をして歩くこと)の俳人として知られています。自由律(じゆうりつ)俳句(五七五の形式にとらわれない俳句)の平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となり、没後70年近く経った今なお山頭火ブームは衰えることがありません。(右の写真は熊本近代文学館にて:2004.10撮影)

 明治15年(1882)山口県の造り酒屋に生まれましたが、11歳のとき母親が投身自殺、これが一生の心の傷となります。大正5年(1916、35歳)、家が破産し妻子を連れて熊本に移り住み、下通りに文具店「雅楽多がらくた」を営むことに。しかし自身の苦悩から逃れることができず、家業は妻に任せ、酒と俳句に埋没(まいぼつ)する日々を送ります。大正14年(1925、44歳)に出家、鹿本郡植木町の味取観音みとりかんのん堂の堂守(どうもり)となりますが、その後も放浪の旅を続け、昭和15年(1940、59歳)10月11日、四国松山で倒れます。山頭火のお墓はふるさとの山口県防府市にありますが、奥様が熊本に住んでおられた関係で、分骨されて熊本市横手町の安国禅寺(北岡自然公園の北方)にも。 

味取観音の句碑

 44歳のとき出家、堂守となった
 植木町の味取観音堂みとりかんのんどうにある句碑

松はみな 枝垂れて 南無観世音 
     この句の読み方について

 その他にも、たくさんの俳句を残しています。

分け入っても 分け入っても 青い山 
雨ふる ふるさとは はだしで歩く
ふりかへらない 道をいそぐ
すすきのひかり さえぎるものなし
岩かげ まさしく水が沸いている
ここで泊ろう つくつくぼうし
  
 感じたことを、季語や字数など形式にこだわることなく、ありのままの飾りけのない俳句です。世間や家族ばかりか、自分さえも捨て、放浪の旅を過ごした山頭火の人生そのものなのでしょう。しかし、妙に親近感をおぼえます。五七五など形式に囚われない俳句、私も挑戦してみようかな・・・。
 何はともあれ、山頭火が歩き、俳句に詠んだ自然や風景が、熊本県内にたくさんあります。皆さんも訪ね歩いてみませんか。新たな俳句が生まれるかも・・・。
  
味取観音 地図
植木町の味取観音堂
植木インターチェンジから熊本市内に向かう国道3号線添い
味取観音堂付近略図
国道沿いとは思えぬ程に静かで、自然豊かな遊歩道も完備
 
山頭火の像(日奈久) 日奈久の石碑
八代市日奈久温泉「いこいの広場」の石碑
「温泉はよい、ほうんたうによい。ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、・・・・・・いや一生動きたくないのだが」と「行乞記」。山頭火自筆のコピーが石碑の前に。温泉が好き、酒が好き、水が好きだった山頭火、石碑にも清らかな水が・・・(2005/02/06撮影)

 そこで、水を詠んだ句を幾つか
ふるさとの水をのみ水をあび
へうへうとして水を味ふ
こんなにうまい水があふれている
うまいといえばくんでくださる水のしみいる
  飲みたい水が音たてていた
  雨を受けて桶いつぱいの美しい水
  岩かげまさしく水が湧いている
  行き暮れてなんとここらの水のうまさは
  水音けふもひとり旅ゆく
  南無観世音おん手したたる水の一すぢ
 水を愛した種田山頭火、旅先で出会ったり味わったりした水が次々。山頭火が詠んだ俳句は8万4千句とも言われていますので、その中に水に関する句が1万近くあるのではないでしょうか。別ページ「熊本の水を考える」でも紹介しませんか。

 自分でも俳句に挑戦しようと思ったら、橋本さんの俳句の創作と研究のページ
俳句や山頭火関連の様々なページへのリンク集もあります。
最終更新:2009/01/20

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会


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