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次のようなメールをいただきました。 視覚障害者のために、「音訳」(本を読み、録音図書(テ-プ・CD)を製作)ボランティアをしております。 現在、他の方が録音したものの校正をしております。その中に、山頭火の句が出てきました。「松はみな 枝垂れて 南無観世音」ですが、音訳者は「まつはみな えだたれて なむかんぜおん」と読んでいます。私は、「しだれて」と直したいのですが、「広辞苑」では「しだれる」を引くと、「垂れる」しかなく、「しだれ」で引くと、「垂れ・枝垂れ」が出てきます。山頭火のはどちらが正しいでしょうか? 私(国語や文学に関して全くの素人)は、「枝垂れて」を「えだたれて」と読んでいました。ただ読みやすかったという単純な理由からです。しかし「しだれて」と読むのも正しそうですね。国語の先生たちにお聞きしたところ、それぞれでした。そこで、句碑のある植木町役場に問い合わせをしてみました。句碑のある「見取観音」に尋ねられたとのことで、見取観音では「えだたれて」と読んでいるとのことでした。新たな情報が入りましたら、再度メールいたします。 その後、熊本県立図書館にもお尋ねしてみましたら、次のようなご回答をいただきました。 読み仮名をつけてある資料を探しましたが、探し出せませんでした。当館に隣接の近代文学館にも確認しましたら、「種田山頭火の句は特徴として、自由律俳句と言われています。文字数もこだわらずに作ってありますが、基本的に「意味がわかるように」読めばよい」とのことでした。「しだれて」と読む場合も、「えだたれて」と読む場合もそれぞの感性でよろしいようです。 山頭火の自由奔放な性格や行動からして、俳句の読み方も読み手に任せてくれるのかも知れませんね。「字の読み方? そんなことどうでもいいよ。あなたが好きなように!」などと、微笑んでおられるのかも知れません・・・。
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<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会