ヒガンバナの開花情報はここをクリック! |
ヒガンバナに関する様々な情報(?)、見つけ次第、思いつき次第、追加していきたいと考えています。なお、ヒガンバナについて興味深い情報等大歓迎です、ここに紹介させてください。
別名に「ハミズハナミズ」(葉見ず花見ず)とあるように、花の時期には葉はなく、葉と花の時期が異なります。葉が枯れ果て、夏の「休眠期」を経て、花茎が伸び、花を付けます。秋の短い「花期」です。花茎が完全に枯れ果ててから、細長い葉が現れてきます。秋から春先の「葉期」です。 葉は1個の鱗茎(地下茎)から、3〜8枚、長さは30〜60cm、深緑色で光沢感があり、厚くて柔らかい。葉は花が終わるとすぐに出始め、冬を越して4月ごろまで続きます。その後、葉は枯れ始め、地表からはすっかり姿を消してしまいます。 花は赤紅色。30〜50cmの花茎の頂上に、6〜14cmの花筒をもった花を5〜8個、放射状につけます。花被(がく、花弁)は5〜6枚、波状に反り返り、5cmほど、細くて長い6本のおしべと1本のめしべは花被の外に突出。 開花条件は、地温の影響が大きく、日平均気温(1日24回の測定気温の平均値)20〜25度ということで、日本ではちょうど秋の彼岸頃と一致しているとのこと。夏期の高温は、初期のうちは開花を早め、後になってからは開花を遅らせるとのことです。(2004年は、ともに高温のようだから、平年並みかな?)花期は、気温による地域差、同一地域でも、湿地か乾燥地によっても異なります。 開花を調整する方法として、早めるには花芽(はなめ、かが、花になる芽のこと)の初期段階(6月ごろ)で、高温下で管理して生育を早め、その後開花適温(20〜25度)に移せばよい。7月下旬の開花さえ可能らしい。開花を遅らせるには、鱗茎を30〜35度の高温または、1〜6度の低温状態貯蔵しておき、適温下へ移せばよいとのこと。春に開花させることさえ可能らしい。 (以上、松江幸雄著「日本のひがんばな」文化出版局発行を参考に。同書には、項目別や都道府県別に、900余りのヒガンバナの別名を分類して紹介するなど、様々な情報が!) |
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ヒガンバナは人里離れた山中にはない人里植物。種でなく栄養繁殖(鱗茎で増える)ということは、人の手によって繁殖範囲を広げる以外には、方法は無いのでしょうか。鱗茎が川や海流によって運ばれるということも考えられます。もちろん、地震や地すべり、洪水と川や海流の組み合わせもあるでしょう。
1個の鱗茎が、5年後には40個になったと聞きました。そこで、毎年元の鱗茎の隣に新しい鱗茎が生まれ、その直径を2cmと仮定すると、1年で2cm移動することに。すなわち、1万年で200m、10万年でも高々2kmにしかならない。中国大陸からの距離(1000km))には程遠いようです。ところが、植物の歴史はこの何百倍何千倍も長い、また地すべりや洪水などと複合して考えれば、鱗茎が中国大陸から日本までたどり着くことはあり得ない事ではないようです。長い年月の重みを実感します。しかし、日本のヒガンバナは「人里にしかない」ということを考えれば、人為的なものであるというのが正しいのかも知れません。真実はどうなんでしょうか。 ところで、世界中には様々な人種がいますが、全ての人々のDNA情報をたどって行くと、20万年前の一人のアフリカ女性に行き着くと聞きました。この話を聞いたとき、車も飛行機も無かった時代に、世界中に移住できるのかと、疑ったことも。しかし、1年に1km移住したと考えれば、20万年と言わず、数万年でも地球の隅々まで移住可能だと、納得したことを思い出しました。また、全人類まさしく皆兄弟、今なお絶えない人種間の紛争や戦争なんて・・・。 |
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本サイトの別ページに「曼珠沙華(マンジュシャゲ)は赤い花を意味する(?)梵語(ぼんご)」と書いていますが、中野進著「花と日本人」(花伝社発行)を読んでいたら、花の色は「赤ではなく白である」と「佛教大辞典」にあるとのことです。佛教大辞典、調べてみなければ。 ヒガンバナを曼珠沙華(マンジュシャゲ)と呼ぶようになったのは「葉より花が先に咲く」すなわち「まず咲く」が変化して(「まんずさく」、東北弁?)いき「まんじゅしゃげ」となったという説も。これが正しいとは言い切れませんが、意外とこれに近い発想かも知れませんね。ヒガンバナの別名として「曼珠沙華」の文字が使われ始めたのは江戸時代、法華経に出てくる「曼珠沙華」が当て字として使われたと推測できます。音から漢字、漢字から音、日本語、梵語、中国語、いろいろ入り混じり、次々と変化していくのも自然の成り行きかとも。ちなみに、山口百恵は曼珠沙華を「マンジューシャカ」と歌っています。サンスクリット語の発音に近いですね。 |
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神奈川県在住の女性です。ヒガンバナについて調べていて、「彼岸花四方山」に立ち寄りました。 実は、三年前に父が亡くなった年の秋に、突然、庭に赤いヒガンバナが咲いたのです。驚きました。春に、気がついていれば葉があったのでしょうが、全く意識していませんでした。 不思議なのは家族の誰も球根を植えていないのです。我が家の庭は勿論、ご近所の庭でもみたことがありません。 サツキの株の中で突然咲いたのですが、球根でしか増えないはずのものが、どうやって、ここまできたのでしょうか・・・・・ 三年間ずっと不思議に思っていましたが、今年の9月3日に、父と仲がよかった父の従兄弟が亡くなったその日に、今年の花が咲き始め、これはもう不思議な力がはたらいているとしか思えない・・・・・それで、ヒガンバナのことを調べ始めたのです。何かアドバイスいただければ幸いです。 ヒガンバナにまつわる不思議な話、ありがとうございました。誰か庭に球根を投げ込んだのか、それとも稀に咲く2倍体のヒガンバナの種子を動物が運んだのか、誰か他の球根と間違えて植えた、それとも・・・。この世には偶然によるものも多いが、その現象に出会って如何に感じるかはその人の気持ち次第、お父さんやお父さんのお従兄弟さんへの思い入れの度合いが成せるものでは。花が咲いても何も感じない人もいますが、様々な思いを浮かべる人は心豊かな方かと。世の中、自然の摂理では考えられない現象も多いようですが、ヒガンバナが咲いたということは悪いことではありません。お父さんや従兄弟の方を思い出させてくれたすばらしい花です、大事に育ててください。 |
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6年前に鹿児島から持ち帰った彼岸花が今年初めて咲きました。鉢に植えて室内で咲かせようと思ったのですが、なかなか花が咲かなかったので、4年程前に実家の庭に植えました。忘れていたのですが10月7日に「花が咲きそうだ」と電話があり、翌日見に行くと花が9本咲いていました。感動しました。北海道でも咲くことができました。(植えた時は小さかった球根が10倍くらいになっていました。)彼岸花には亡き母との思い出が・・・、それは私が4〜5歳の頃のことです。辺り一面の真っ赤な曼珠沙華の咲く中で花を摘んでいると、母が怒ったような顔で迎えに来たのです。夕食時だったのかはっきり思い出せませんが、真っ赤な夕焼けと赤い曼珠沙華、60歳になる今でもその時の光景がはっきりと想いだせます。母と手をつないで、歌をうたって帰りました。早くに亡くなった母との、母を独り占めできた数少ない私のささやかな幸せの思い出の花です。これから毎年咲いてくれるかと思うと、母が帰って来てくれたような気がします。来年はもっと増えることでしょう。(メールより)
東北が北限と聞いていたヒガンバナが「北海道で開花!」という情報でした。庭に植えて初めて開花したと。10月といえば北海道は気温が低いのでは。私たちが考えていたヒガンバナの開花条件「日平均気温25度」も地域によって違うんですね。熊本以外のヒガンバナについては全くといっていいほど情報を持ちません。北海道で開花するのなら、8月かと勝手に思い込んでいました。ありがとうございました。彼岸花はお母様との思い出とのこと、彼岸花と夕焼け、目に浮かびます。ヒガンバナは親しい人との繋がりというか縁を伝えてくれる不思議な花のようです。思い出の曼珠沙華、北海道の大地に咲き続けていくことを祈ってます。 |
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ヒガンバナの渡来時期 万葉集巻11の柿本人麻呂の歌に「道の辺の壱師(いちし)の花の灼燃(いちしろ)く 人皆知りぬわが恋妻は」というのがありますが、この「壱師の花」がヒガンバナとのことで、これが記録としての最も古いヒガンバナの登場のようです。「壱師の花」はギシギシ(タデ科の多年草)、メハジキ(ヤクモソウ、シソ科の越年草)、クサイチゴ(草苺)、エゴノキ(エゴノキ科の落葉高木)等々と諸説があるそうですが、牧野富太郎博士が「万葉のイチシ、”いちしろく”を”明白な”ととらえ、漢名の石蒜も”いしし”と読め、これが訛って”いちし”になった。よって、壱師はマンジュシャゲ(曼珠沙華)、一名ヒガンバナ(彼岸花)」と主張。その後、ヒガンバナの別名にイチシバナ、イチジバナ、イッシセン等、「イチシ」と同じ音の名前が残っていることが分かり、「壱師の花がヒガンバナである」という説が定着したということです。 ヒガンバナの別名がこんなところにも役立っています。しかし、色鮮やかで目立つ花なのに、「壱師の花」を詠んだ歌が万葉集にたった一首しかないということは不思議です。更には、古事記や日本書紀、今昔物語や方丈記等の古典文学にヒガンバナと思える花が登場しない。当時から忌み嫌われていたからか、それとも、ヒガンバナがまだ存在しなかったのか。美しさでは勝ることはあっても、他に負けるはずはない、それがヒガンバナ。ヒガンバナが文献等にはっきりと登場するのは室町時代以降、それも「続群書類従」や「木蛇詩」に貴重で珍しい花として紹介されているとのこと。室町時代に珍しい花だったということは、その頃渡来したという説が成り立ちそうですね。 |
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黒いヒガンバナ! 「愛媛在住者ですが、彼岸花の美しい写真に思わず目がいきました。私が子供のころ今から30年ほど前、黒い彼岸花が四国では咲いていましたが、今現在見ることはありません。白もなくなりました。なにか温暖化と関係あるのかわかりませんが、実際黒の彼岸花を見かけませんでしたか?家族で私の見間違い説など出ていますが、本当に見たのです。」とのメールをいただきました。(2008/09/22) 「黒い彼岸花」の情報は初めてです。黒百合もありますので、黒いヒガンバナが存在する可能性もあるかと思います。今は見かけないとのことですが、他にも黒いヒガンバナを確認されている方が居られるのなら、確かでしょう。興味深い情報です。どなたか、黒いヒガンバナについて、ご存知の方が居られたら、お教え下さい。 この後、別の方からいただいた黒色マンジュシャゲ情報です。メールとともに送っていただいた写真(縮小しています、クリックするともう一枚の拡大写真も)を右上に紹介します。
東京都薬用植物園にお尋ねしたところ、以下の回答をいただきました。
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別名は不吉な名前を軟化するため? こんにちは。愛知県在住のAsaと申します。「彼岸花の別名」のページ、楽しく拝見させて頂きました。少し前に三重県立図書館で三重県の郷土資料を調べる機会がありまして、調べるついでに色々な項目をナナメ読みをしていました。その際に面白い彼岸花の別名を見つけて思わずメモをとっておいたものがあります。それ以来、彼岸花について気になりだしまして色々と調べていたところ、そちらのHPにたどり着いたという次第です。偶然かもしれませんが、僕がメモしていた彼岸花の別名がそちらのHPには掲載されていませんでしたので、この別名も共有して頂けたらと思いメールしました。どうやら、三重県のごく一部の地域でのみ使用されているもののようです。(この本には他にもいくつか彼岸花の別名がありましたが、その時にはとりたてて惹かれなかったのでメモしていません) ・ウマチャゴチャゴチャ(南牟婁郡山間部) ・ナンマイダッポ(鈴鹿市白子 付近) 「ウマチャゴチャゴチャ」のほうに関しては類似する「ウマチャゴチャゴ」がありましたが、僕が個人的に注目しているのが下の「ナンマイダッポ」です。ヒガンバナ→シビトバナ→ハカバナの連想の終着点にくるような気がしまして。三重県は浄土真宗が盛んな地域でもありますので、その影響もあるのかなととか、「葦:あし→よし」のように、不吉なイメージを転化するための別名かな?とか、勝手なことを考えています。また何か面白い別名を見つけましたらメール致します。(2008/10/06) さっそく別名一覧に追加させていただきました。いただいた2つを加えると、中国・韓国名や学名を除いて、ちょうど1000になりました。更には別名発生の推理も参考になりますので、メールをここに紹介させていただきました。「不吉な名前を軟化するための別名かな」というところ、まさに的を射た発想かと思ってます。 |
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背丈が低いヒガンバナ! 花その大きさは普通のヒガンバナと変わらず,10cmほどと背丈が低いヒガンバナを時々見かけます。本校中庭にも茎長8cmほどのヒガンバナ(右写真,撮影:2009/10/15 17:30)が開花していました。丈が低い原因は? 周囲のヒガンバナは低い2本以外は全て50cm以上ありますので,土のせいではないようです。開花時期は数日遅れています。その間雨はなく,平均気温も10度代。普通なら茎が50cmほどに伸びてから開花しますが,水分不足とか低温等の外因によって茎が伸びないままに開花してしまったのか? 原因等ご存知の方,教えていただければ幸いです。 |
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