水に関する |
如水五訓
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知り合いの家の床の間で、たまたま眺めた掛け軸、水のことが書いてあったので興味が。調べてみると、戦国武将で大分の中津城主「黒田如水(1546-1604)」の人生訓だそうです。インターネットで最初「如水五訓」で検索したら、一致する情報なし!そこで「如水 五訓」で検索したら、いろいろ出てきて検索の勉強にも。ところが「如水五訓」のほかに、「水五訓」等色々、そして文章や文字、表現、語順等微妙に違っています。いったいどれが本当なのでしょう。次々と伝わっていくうちに少しずつ変わっていったのでしょうか。上の文章も実際のものとは違っているかも知れません。ところで「如水五訓」を調べていくうち、水に関する故事、ことわざや言い回しが次々、ここに紹介しておきます。 |
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頭から水を浴びたよう(あたまからみずをあびたよう) 突然の恐ろしい出来事に出会って、ぞっとするさま。 |
一衣帯水(いちいたいすい) 衣帯とは着物の帯のことから、一筋の帯のような狭い川を隔てて、両者の間隔が近接していること。(出:南史) |
魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ) 相手が自分に好意を示せば、こちらも好意をもって応対する用意がある、ということのたとえ。 |
魚の水に離れたよう(うおのみずにはなれたよう) ただ一つの頼りを失ってどうすることもできないさまのたとえ。 |
魚の目に水見えず(うおのめにみずみえず) 身近にあって、自分にかかわりの深いものはかえって気づかないことのたとえ。 |
遠水は近火を救わず(えんすいはきんかをすくわず) 遠くのものでは急場の役に立たない。(出:「韓非子」説林) |
渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず) どんなに困っていても、不正なことには手を出さないことのたとえ。 |
我田引水(がでんいんすい) 自分に都合のよいように物事を行ったり、言ったり、考えたりすること。 |
君子の交わりは淡きこと水のごとし (くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
才徳ある人の交際は、淡々とした水のようにあっさりしているようだが、長く変わることなく続くということ。君子交淡若水(出:荘子) |
凹(き所に水溜まる(くぼきところにみずたまる) くぼんだ所に水が自然に溜まるように、条件の備わったところは自然によい成り行きになること。 悪い境遇にある者には、種々の困難が集まること。 |
氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりさむし) 弟子が師よりも勝ることのたとえ。(出:「荀子」勧学) |
山紫水明(さんしすいめい) 山は紫にかすみ、川は澄み切っていること。山や川の景色の美しいこと。 |
上手の手から水が漏れる (じょうずのてからみずがもれる) どんな名人でも時には失敗するとの意。 弘法にも筆の誤り、猿も木から落ちる、河童の川流れ。 |
上善如水(じょうぜんじょすい) 最も優れた「善」は水のごときものである。その理由は第一に水は方円の器に随い、天地間に水なくして存在するものはない。 第二に水は低い方へ低い方へと流れること。第三に低いところに水が溜るから自分も大きくなる。 このように上善は最大の善のほか、古代の善とも称される。(出:老子) |
水火も辞さない(すいかもじさない) どんな苦痛や危険もいとわず、物事に力を尽くす。 |
水魚之交(すいぎょのこう) 魚にとっては水は絶対必要なものから、お互いに離れることのできぬ親密な交わり、また君主と臣下の関係や夫婦の仲についてもいわれる。劉備と諸葛孔明との親密な交わりから生れた。(出: 「蜀志(しょくし)」諸葛亮伝) |
水天一碧(すいてんいっぺき) 晴れ渡った遠い海上などの、水の色と空の色とがひと続きになっているようす。 |
漱石沈流(そうせきちんりゅう) 孫楚は「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきを「石に漱ぎ流れに枕す」と間違っても、 石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためと言い張り、誤りを認めなかった故事から、 強情、負け惜しみの強いことを言う。これから、夏目漱石のペンネームが。 |
立て板に水(たていたにみず) 立てかけてある板に水を流すようにすらすらとよく話すさま。弁舌の流暢(りゆうちよう)なさま。 |
知者は水を楽しむ(ちしゃはみずをたのしむ) 知者が物事に固着しないで順応し、円滑自在に事を処理するさまを、水が一か所にとどまらずに流れ去るさまにたとえていう語。 |
血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい) 親子・兄弟など血筋を引いたつながりは他人との関係より緊密であることのたとえ。 |
年寄りの冷や水(としよりのひやみず) 老人に不相応な、危ないことや差し出がましい振る舞いを警告する(冷やかす)言葉。江戸の水屋が売り歩いた「川の水」を飲んで調子を崩した老人が多かったからという説も。 |
寝耳に水 (ねみみにみず) 寝ている時に急に耳の中に水が入るように突然の出来事にあわてて驚くさま。 |
背水の陣(はいすいのじん) 漢の韓信が、わざと川を背に陣をとって、味方に退却できないという覚悟を固めさせて、趙(ちよう)の軍勢を破った故事から、一歩もあとにはひけないせっぱ詰まった状況・立場。また、そういう状況に身を置いて、必死の覚悟で事にあたること。(出: 「史記」淮陰侯伝) |
万物の根源は水である(ばんぶつのこんげんはみずである) 古代ギリシャの哲人「ターレス」の主張。現在の化学の常識から言えば誤り。 |
火の中水の中(ひのなかみずのなか) ひどい苦しみや困難な境遇に身を置くたとえ。火の中水の底。 |
覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず) 容器からこぼした水はもとにもどすことができない。すんでしまったことはとり返しがつかないことのたとえ。漢の朱買臣の妻は夫に愛想をつかして別れたが朱が出世するや復縁を求めてきた。しかし、朱は盆の水を地にこぼし、これをもとに戻したら応じようと答えたという故事から。(出:朱買臣伝)「拾遺記」には太公望の話として同様の故事が見える。「盆」は洗面用などの平たい水鉢のこと。覆水不返盆。 |
萍水相逢う(へいすいあいあう) 根のない浮き草と流れつづける水とが出会う。旅に出ている者どうしが偶然知り合いになることのたとえ。 |
水かけ論(みずかけろん) 「水かけ」とは水を引く事。日照りが続き渇水状態にあるときに、農夫がお互いの田に水を引くためにお互いの理を通そうと延々と議論するのが、元々の「水かけ論」。そこから現在は、お互いの論拠が異なりいつまでたっても結論に達しない議論の事。 |
水が合わない(みずがあわない) その土地の環境・風土になじめない。 |
水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず) 水が清く澄んでいればかえって魚はすまない。人もあまり清廉潔白すぎるとかえって人がなつかないことのたとえ。水清無魚、水清無大魚とも。 |
水と油(みずとあぶら) 水と油が混じり合わないように、正反対の性格・性質をもつもののたとえ。 |
水濁れば則ち尾を掉うの魚無し(みずにごればすなわちおをふるうのうおなし) 水が濁ると泳ぎ回る魚はいない。政治が正しくないと、自由で楽しい生活を送っていられないというたとえ。 |
水に流す(みずにながす) 過去のいきさつを全くなかったことにしてとがめない。穢れや邪悪を川などで清め流してしまうことが語源で、水量豊かで清らかな川に恵まれた日本独特の思想かと。それも昔のこと、水に流したら下流は迷惑ですね。 |
水に慣れる(みずになれる) その土地の水に慣れ、その土地の環境に慣れる。 |
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう) 人は交友・環境しだいで善悪のいずれにもなるというたとえ。水髄方円。(出:「筍子」君道) |
水も漏らさぬ(みずももらさぬ) 警戒・防御などが厳重で完全な様子。たいへん親しい様子。 |
水を打ったよう(みずをうったよう) (ほこりっぽい地面などに水を打ったときのように)その場の大勢の人が静まり返っている様子。 |
水を得た魚のよう(みずをえたうおのよう) 自分に合った活躍の場を得て生き生きとしている様子をいう。 |
水をさす(みずをさす) うまくいっている間柄や物事を脇からじゃまする。「水をかける」とも。 |
明鏡止水(めいきょうしすい) 曇りのない鏡、波のない静かな水。何のわだかまりもない静かで無心の心境をいう。(出:荘子) |
焼け石に水(やけいしにみず) 焼け石に少々の水をかけてもすぐ蒸発してしまうことから、努力や援助が少なくて効果が上げられないことのたとえ。 |
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまるためしなし。」 鴨長明(かものちょうめい 1155〜1216)の方丈記の出だしで、日本古典の中でも名文中の名文。この「よどみに浮かぶうたかた」(うたかた:水面に浮かぶ泡)が消えるまでの時間を調べることによって、水の汚染度が解かるのではないか、というアドバイスメールが届いた事があったそうです。汚染が進むほど、泡が消えるまでの時間は長くなるはず!面白いアイデアだと思いますが、まだ調べていません。 |
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捜せば多いですね。他に、本サイトの「水を考える」の最初に出てくる「湯水のように使う」や「日本の水について」にある「水と空気と平和はタダ」も追加していいかも知れません。水は人間にとって無くてはならない大切なもの、水に関する言葉はもっと沢山ありそうです。それだけ多いということは、水が私たちの生活と密着しているという証でしょう。一つ一つの語源を調べてみるのも面白そう、興味の輪は広がるばかりです。ところで今年の梅雨、今のところ熊本は空梅雨(例年の2割ほど)ですが、梅雨は「水を考える」季節かと、本ページを発信します。なお、熊本文学散歩の山頭火関連ページとして、山頭火が水を詠んだ俳句も!(2005/06/28 最終更新:2009/01/20) |
制作:熊本国府高校パソコン同好会 |