座談会「聖橋、平成の修復成る」


 日本の石橋を守る会熊本県支部会報「熊本の石橋」第5号に掲載されたものを、事務局のお許しを得て、ここに紹介します。

司会
聖橋が62年ぶりに修復が出来、おめでとうございます。関係の皆様のご尽力の賜物と敬意を表します。関係者を代表してお二人に、ここに至るまでのお話を聞かせていただきたいのですが。まず「聖橋を守る会」の結成のあたりから・・・。
飯星
年表にありますように、平成3年2月に会を結成し、120名でスタートしました。活動内容は橋の除草や文化財としての価値を町民に知ってもらうことから出発しました。修復については町役場に度々足を運び陳情し、県議の方にもお願いしました。会員には活動の推移等を「会報」で知らせてきました。
司会
それまで、聖橋の管理は?
飯星
いや、それまで管理者不在の状態でしたから、県や町に陳情を重ねた結果、町議会で矢部町が管理団体になることが了承され、さらに町文化財指定も決まりました。その後、熊大の北野教授や小林教授、諫早の山口さんにも来ていただいて、修復への研究協議の場を設けて欲しいと再三町へお願いしましたが、実現には至りませんでした。
司会
今年2月下旬の熊日紙上で、「聖橋を修復へ」の記事を読み、3月上旬から工事開始と知り、良かったと喜ぶ反面、そんなに急に取り掛かれるものかと懸念したのですが、尾上さん、こういう文化財修復には調査や研究の時間が必要なのではありませんか。
尾上
そうですね(笑)。これには私も悩みました。外観では、三五郎独特の扇積みの壁石のパターンを左岸から入念に写し取りたかったし、橋の内部では高さ12mの壁石が崩れないように、通潤橋の釣石みたいな工夫が施してありはしないか、いろいろ調査してみたかったのですが、時間がないものですから、施工計画に不安が伴いました。限られた予算を期限までにということで、行政担当の方もずいぶん苦労しておられたようです。
司会
それでも尾上さんの場合は、平成8年度町が委託した(財)文化財建造物保存技術協会の調査報告書をもとに要約レポート作って聖橋を守る会に渡しておられるし、飯星さんの会としては研究熱心な尾上さんが工事を請け負われることは心強かったのでは・・・。
飯星
全くその通りです。文化財として価値を損なうことなく修復していただくのにふさわしい方と信じていましたから。
司会
あの報告書には修復工事案が5つ示してありましたが、今回は・・・。
尾上
B案とD案を折衷したような工法が採られたようですが、これは左岸側の石の重みで右岸側へ20cmも歪んでいるアーチを、これ以上歪まないように応急で止めておくもので、本復元ではないことをご承知おき戴かなければなりません。
司会
工事に取り掛かられていろいろとご苦労や心配が多かったのでは、62年前に取り壊されていた跡は、ただ石を積めば良いというものではなくて。
尾上
合端(あいば)3寸という下の石と上の石の接合面積を大きくする工法は出来る限りやりました。自重で合端が割れないようにするためです。壁石の背面には雨水を溜めにくい石屑や岩塊を詰め、壁石に圧力がかからないようにしました。また、一定の間隔で控えの長い石を使い壁石の孕みを止めました。それでもあと3mで積み終わりの高さまで来ると、釣石を施工しないで完了させることには、関係者全員が不安になってしまいました。そこで応急復旧が前提だと居直って、とうとう鉄筋で上下流の壁石を4ヶ所引っ張ってしまったことは、やはり悔いを残すことになりました。
司会
合端(あいば)3寸については諫早の山口祐造さんが「戦後の業者はほとんど採算が合わないからと言って毛抜合端で済ませている。今回、尾上さんから合端3寸で積んだと聞いて、文化財への思い入れが違う」と高く評価しておられました。ところで、石材は近くから?
尾上
いいえ、町内ではあるのですが、15kmほど離れた島木の採石場からです。しかしこの石は聖橋に使用されたものより軟らかで加工しやすいので、本復元の時は近くから採石すべきだろうと思います。100年後の話しでしょうけれども(笑)
司会
5月に現場で石積みの様子を見学しましたが、河原で程良い形に整えた石をクレーンで吊り上げ、壁面の所定の位置に降ろしたら、あとは削るも動かすのも手作業なのですね。道具は使っても機械は使わない。石工の掌の温もりがあの橋には残っていますよ。仮修復とは勿体ない。ほとんどできあがった頃に熊大の小林一郎教授と一緒に眺めたのですが、壁面の目地の緩やかなカーブが三五郎が築いた左岸側と酷似しているので、先生は「電話で聞いていたより、ずいぶん良くできている」と誉めておられました。私も同感でした。それにしても5月末までに完成するのかと心配で・・・。
尾上
河川の使用許可期限が6月4日だったことは、工期的に苦しかった反面、大変幸運でした。というのは支保工撤去が完了した翌々日には大雨が降りまして、支保工の基礎よりはるかに水位が上がっていました。もし、撤去していなかったら、首を洗って白装束で聖橋の上に座っていたかも知れません(笑)
司会
手摺りはどうなるのですか?
尾上
今回は応急復旧ですから、計画されておりませんでした。
飯星
なるべく早い機会に設置して頂き、安全に渡れる橋にして欲しいのはいうまでもありません。
司会
今後のことで一口ずつ。
飯星
石橋公園作りのための河川環境整備と県の文化財指定に向けて更に努力したいと思います。
尾上
世代を超えて本当の復元が出来る世の中になるまで、正しい修復法を研究して大切に維持することが今の私達に出来る限界ではないかと思います。
司会
本日は貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。

 地元住民の聖橋へのあつい思いが、矢部町を動かし、仮修復の予算化が実現したのですね。住民、自治体、工事請負業者のそれぞれの立場での歴史的文化財への思い入れや、修復工事の難しさ、気づかいが伝わってきます。3者に共通した理念は、郷土の先輩達が汗と命を懸けて残してくれた石橋を、是非とも次世代に受け継がなければという責任感と郷土愛ではないでしょうか。その精神は肥後の石橋が架けられていった江戸末期の農民、総庄屋、石工の関係と同じようにも感じます。聖橋に続き、更に多くの石橋の修復・復元を期待したいものです。(99/09/01)


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<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会