日本の石橋を守る会熊本県支部会報「熊本の石橋」第5号(平成11年8月21日発行)より
1832年 15年後 |
男成川目鏡橋(聖橋の元の名称) 渡11間 根2間半 留2間 輪之内法11間 半円5間5合 天保3年3月5月成就 (天保2年11月着手) 石工棟梁 岩永三五郎 |
1847年 90年後 |
小野尻・畑村懸 男成川目鏡橋(これが完成し、元の男成川目鏡橋は聖橋と改称) 手摺39間6合 弘化4年出来 名称が聖橋に変更された理由は下流にある聖滝にちなんだものと聞く。 親柱には「聖橋」と彫ってある。 |
1937年 62年後 |
小型バスはこの橋を通っていた。 昭和12年 日向往還の鉄筋コンクリート橋新設に伴い、聖橋の撤去始まる。 井上氏談「偶然通りかかると、石橋の石材を取り、新しい橋の土台に埋め込んでいた。これは大変だと町長を通じて土木事務所に掛け合い工事を中止させた」 平成3年(1991年) 聖橋を守る会発足。 同年10月、町文化財に指定。 |
1999年 | 平成11年 矢部町が総事業費3600万円で仮修復。 |
62年前、取り壊されかけた石橋を守ったことが、この修復に繋がったのですね。戦時中という非常事態の中にも、文化財保護へ関心を持った住民や町長の存在に敬意を表したい。その後の「聖橋を守る会」の地道な活動、それに応えた矢部町の熱意も忘れてはなりません。矢部町には、自らの生活のために、自らの力と技で、数多くの石橋を造り、残してきた先人たちの伝統が伝わっています。