熊本文学散歩


 

天草の文学碑を訪ねて

 隠れキリシタンの島、天草は文学者の往来も多く、文学碑も多いので、幾つかを紹介してみたい。。かつて司馬遼太郎はこの地を訪れたとき、次のように語っている。「天草は旅人を詩人にする。まして詩人が旅人ならば、北原白秋たちがそうであったように、鳴き砂の中に遙かな西方の波音まで聴きわけ、歴史という虚空の中にまで吟遊して歩く人になるかも知れない」と。


 苓北町富岡、海岸につきだした富岡城址は、天草四郎のキリシタン軍との戦いの歴史を背負っている。城址近くの海岸に頼山陽の「雲か山か呉か越か・・・」の「天草洋(なだ)に泊す」の詩碑がある。

泊天草洋
 雲か山か呉か越か
 水天髣髴青一髪
 万里船を泊す天草の洋
 煙は蓬窓に横って日漸く没す
 瞥見す大魚の波間に跳るを
 太白船に当って明月に似たり
(碑は白文である)


 解説によると、文政元年(1818)、頼山陽39歳の時、天草の乱の跡を慕ってここを訪れている。長崎の茂木港より乗船するが、海が荒れ、島原半島の千々岩に漂着しながらも、大矢野島を経由しての、苦労の末での富岡であった。詩碑の前は白砂の浜、目の前に広がる海は、そのまま中国大陸に続いている。大陸的なスケールの大きさを感じるとともに、実に心地よい詩である。眼下の白い砂浜と荒々しい波の音が印象に残る。詩は机上では味わえないものと実感。(頼山陽は別ページにも)


 すぐ近くには林芙美子の自筆の文学碑もある。

旅に寝て のびのびとみる 枕かな

 東シナ海に面する天草町の景勝の地「十三仏展望台」がある。西はすべて大海原、足下は50mの断崖絶壁。日本で最後に夕日が沈む水平線が見える。ここに与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑がある。

天草の十三仏の山に見る 海の入日とむらさきの波 (鉄幹)
天草の西高浜のしろき磯 江蘇省より秋風ぞ吹く (晶子)


 五足の靴一行と訪れた天草が忘れられず、妻晶子を連れて再びやってきた(昭和7年)。その時の歌だそうです。「江蘇省より秋風ぞ吹く」とは、何と雄大な気持ちでしょうか。天草という風土のなせるものでしょうか。夫妻は熊本を周遊し、各地に数多くの歌を残しております。松島(4号橋と5号橋の間)にも碑がある。


 吉井勇が北原白秋らと天草の大江天主堂を訪れたときの往時を回想して、次の歌を詠んでいる。その文学碑が、大江天主堂前にある。

白秋とともに泊まりし天草の 大江の宿は伴天連(バテレン)の宿 

 上天草市松島町の4号橋と5号橋の間の天草パールセンタ横の海岸にも、与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻の歌碑が天草四郎の銅像と並んでいます。

 
天草の島のあいだの夕焼けは 舟もその身も染めて人釣る(寛)
天草の松島ここに浮かぶなり 西海のいろむらさきにして(晶子)
 昭和8年8月の歌だそうです。(歌碑の拡大写真

最終更新:2006/09/11

<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

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