・・・ 五木の子守唄、あんたがたどこさ、田原坂、デンデラレン ・・・
熊本の歌に関するメールのやり取りをいくつかを紹介させていただきます。部分的に削除や変更した部分もあり、実際のメールとは異なるところもあります。「おてもやん」については別ページを!
問い合わせメール:
>ホームページを拝見いたしました。
>なぜ皆さんのホームページにたどり着いたかといいますと、「五木の子守り歌」も意味を知りたかったからです。
>「五木の子守り歌」で検索した所、皆さんのホームページにたどり着いたのです。
>そこで、お願いがあります。
>「五木の子守り歌」の意味を教えていただけませんか。
>家族の中で「どういう意味だろうか」と話題になっています。
>お手数とは思いますが、返信をいただけましたら、幸いです。
>どうぞよろしくお願いいたします。(方言は難しいですね)
私たちも正確な意味を知っているかは疑問ですが、以下思いつくまま書いてみます。
おどま盆ぎり盆ぎり 私(の子守奉公)はお盆まで、お盆まで 盆から先きゃおらんと お盆の後は居ませんよ(実家に帰るんですよ) 盆が早よ来りゃ 早よもどる お盆が早くくるなら、早く(家に)帰れる おどまくゎんじんくゎんじん 私の家は貧しい(くゎんじん:物乞いのこと) あん人たちゃ良か衆 あの人たちは良い人たち(お金持ち) 良か衆良か帯 良か着物 (お盆には)良い人(お金持ち)たちは美しい帯や着物を着るだろうな。 (お盆に家に帰ったとき、自分も着れたらいいのに・・・) |
おおよそ、以上の通りだとは思いますが、意味が適切ではないところもあるかと思います。方言というのは、微妙なニャアンスの違いなどがあり、難しいですね。意味を考えると、実に悲しく寂しい歌詞です。子守唄ではなく、子守り娘(こもりっこ)の唄だという事がよく解ります。また、五木の子守唄は「埴生(はにゅう)の宿」と、イメージが通ずるところがあるとおっしゃる方もいます。
質問メール(素朴な疑問・ 五木の子守り歌) 「くゎんじんくゎんじん」 乞食 と言う 意味 わかりますが、語源はどこにあるのでしょうか? その昔、韓国の人 が日本に連行された事が有りましたが、加藤清正の朝鮮なんとか 詳しくは知りません 、、で、玉名では、ただ「かんじん かんじん」と発言してのですが、「漢人」もしくは「韓人」のどちらかではないかと思いますが、違うでしょうか? ただ、気になりましたものですから。 遠い異国の地に来たおどん=韓国の人=かんじん だから 、まともに扱ってもらえなかったのではなかったのでないで しょうか。(2001/08/21) |
「くゎんじん」は漢字では「勧進」と書くようで、「韓人」や「漢人」とは違うようです。元来仏教用語(?)のようで、仏道をすすめることから転じ、寺の建立や普請等の費用を寄付させることのようです。勧進帳や勧進元などの言葉もあります。後になって、乞食などがお寺の名を語って物乞いに利用することがあって、「物乞い」などに意味が転じていったのではないでしょうか。 なお、「くゎんじん」は「かんじん」と同じとも言えますが、熊本弁では「か」と「くゎ」を区別して発音するものが残っています。「せ」を「せぅ」とか「しぇ」などと同じく、古語の名残りでしょう。しかし「韓人」や「漢人」なら「かんじん」と発音します。 よって、「くゎんじん」は加藤清正が朝鮮半島からつれてきた人達のことではないと考えます。 |
メール( 五木の子守り歌について) 五木の子守唄について、気になるニュースを見つけました。許しがたい内容に、この唄に並々ならぬ愛情をお持ちの貴殿サイトへご紹介させて頂いた次第です。 <五木の子守唄は韓国起源>http://www.chosunonline.com/article/20070816000050 韓国は今までも、剣道、柔道、茶道、侍、折り紙、ねぷた祭り、盆栽など、日本の伝統文化を、「韓国が発祥」であり、さらに「韓国のほうが優秀なのだ」と、デタラメな主張を展開しております。 参考http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2329/ 文化や伝統にはもちろん起源があります。日本の多くの文化は中国大陸から伝承されております。ただ日本は、それらを自分たちの風土に合わせて改良し、またその起源となる文化には敬意を表します。日本人の心と言うべきこの子守唄の文化をぜひ守ってください。お願いします。匿名希望(2007/08/23) |
情報、ありがとうございました。ご紹介いただいたページを覗いてみましたが、少なくとも朝鮮半島から連れてこられた人々が五木で暮らしたというのには疑問が残りますね。彼らは当時の先進技術者たちで、城下近くに住まわせ、丁重にもてなしたと考えるのが自然です。熊本市内にもその証しとなる町の名前が今でも残っています。別ページ「肥後の石橋」にも書いていますが、熊本城築城時、近江の国(現在の滋賀県)から連れてきた穴太(あのう)石工たちも、築城終了後も城下周辺に住まわせています。その子孫の一人が、肥後の石橋の黎明期に活躍した石工「仁平」です。また、陶工なら、陶土を産出する地域に住んだかもしれませんが、五木にはそのような痕跡はないと思います。もう少し調べてみます。ありがとうございました。 |
「熊本の方言」や「五木の子守唄と子守唄の里」
五木の子守唄のいろいろな歌詞へ 歌詞その2 へもどうぞ!
問い合わせメール:
>突然ですが
>あんたがたどこさという歌について、ふと疑問に思ったものですから
>ぶしつけなメールをさし上げています。
>内容的に何か背景があるように思ったのですが、ご存知でしたら教えてください。
>
いろいろ調べてみましたが、現在のところ、歌詞の内容の背景と言えるものは見つけることはできませんでした。熊本で作られたものではなく、参勤交代の江戸住まいで、ふるさと熊本を思って唄ったものだとも書いてある本(郷土史家の丹辺恭平さんの文章)はありました。知り合いに問い合わせをしておりますので、もし何らかの情報を得ましたら、解り次第再びメールを差し上げたいと思います。余りにも単純な歌詞、何らかの背景があると考えてもおかしくないですね。もしあるとすれば面白いテーマだと思います。県立図書館等にも行ってみたいと考えています。歌詞からして、熊本で生まれた歌ではないことは確かでしょう。
(その後様々な方にお尋ねしましたが、解りませんでした。発祥地等も含め、何か情報がありましたら、お教えいただければ幸いです。)
以下のようなメールをいただきました。 「あんたがたどこさ」の歌は高校生まで私も熊本の歌だと思っていました。(今から15年ほど前)たまたま埼玉県にある川越にある高校に通っており、どうもこの歌は川越が発祥の地であることを、その当時聞いたような気がしました。最近そのことが突然気になり、インターネットで 調べてみると、どうもそれらしい話が以下のサイトで見つけることができました。 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/antagata.html ご参考までに。(2001/12/19) そこで、このページを閲覧してみると 幕末に薩長連合軍が倒幕のため川越の仙波山にも駐屯し、その時付近の子どもたちが兵士に 「あんたがたはどこから来たのさ」 「肥後から」 「肥後ってどこさ」 「熊本のことさ」 と問い、答えたことから始まったと伝えられたそうです。 (太田信一郎「童歌を訪ねて」より) さっそく県立図書館に行き、太田信一郎著「童歌を訪ねて」(富士出版、昭和63年5月30日発行)を開いてみました。
川越は昔からの宿場町で、人の往来が多く、関東周辺の他の地域から伝えられれた可能性もあります。川越市の郷土史研究家の判断理由を詳しく知りたいものです。ご存知の方があれば、お教えいただけませんでしょうか。(2001/12/19) |
「熊本の民謡や歌」ですが、様々な歌詞のみならず、意味や楽譜までのせてあり、興味深く拝見させていただきました。そのなかの「あんたがたどこさ」の歌詞についてなのですが、最後の部分で「うまさでさっさ」とありますが、わたしが小さな頃家にあった本(何の本だったのか今では覚えていませんが、子供向教養本だったかと思います。ずいぶん年上のいとこの本でしたので、当時でも結構古い本だとは思います。)には「煮てさ、焼いてさ、食ってさ、それを木の葉でちょいとかぶせ」とありました。まりつきの仕方は母に教わり、母もこのように歌っていました。「ちょいとかぶせ」の「せ」でボールを強くついて、後ろ向きになりボールを背面キャッチをしていました。はっきりしませんが確か本にも、そうした手まりの仕方が載っていたように思います。学校でもこのように歌って友達とボール遊びをしてました。(ただこれはわたしが友達にそうだと教えてしまった可能性もありますが)ところが中学の頃「うまさのさっさ」と歌う人がいるのを聞き、不思議に思った記憶があります。母にそのわけを尋ねると、「それはテレビの食べ物のCMでそんな風に歌っていたからよ」というようなことをいわれたと思います。その後、この歌を目にするたびに、どちらが本当か気になっていました。こちらのHPを見て、兵士と子供達の問答が後に手鞠歌になったとのことから、手鞠歌になるうちに派生したべつの歌詞なのひとつなのかと思いました。そうなると他にも歌詞があるかもしれませんね。もしよろしければ、この歌の歌詞についてもご検討いただければ幸いに存じます。それでは長文乱文失礼いたしました。これからも、貴HPの益々の発展をお祈り申し上げます。(2003年11月25) 励ましとともに、「あんたがたどこさ」への材料のご提供、ありがとうございました。今後のページ作成や検討材料として利用させていただきます。 |
問い合わせメール:
>実は田原坂と言う歌が大変好きで、以前より歌詞と楽譜を探しておりました。
>今般貴HPを拝見し大変嬉しく田原坂の由来を勉強させて頂きました。
>有り難うございました。
>ただ、歌詞が2番までしか掲載されて居りませんでしたので、ご教示を頂きたく
>EMAILを差し上げた次第です。
>私が知っております3番(?)は「天下取るまで大事な体、ノミに喰わせてなるものか」と
>言う歌詞ですが、この歌は全部で何番まであるのでしょうか?
>できれば全ての歌詞を知りたいのですが、ご教示お願いできませんでしょうか。
田原坂資料館に問い合わせいたしましたところ、そこで配布している歌詞では、以下のようになっております。
1:雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 2:右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱 馬上ゆたかな美少年 3:山に屍(しかばね)川に血流る 肥薩の天地秋さびし 4:草をしとねに夢いずこ 明けの御空(みそら)に日の御旗(みはた) 5:泣くな我が妻 いさめよ男子等(おのこら) 戦地に立つは 今なるぞ また、熊本県民手帳には、3番(番号は書いてありませんが、1、2は同じ)が、次のようになっていました。 春は桜よ 秋なら紅葉 夢も田原の草枕 |
なお、植木町の郷土史家であられる勇 知之さんにお聞きしましたところ、元歌は1番と2番だけだとのようです。その他にも色々な歌詞も多いようですが、それらは後になって創作されたもののようです。特に日露戦争の後に、西南戦争とダブルイメージされて、お座敷遊びの歌として、様々な歌詞が、次々とうまれたようです。歌詞は数えきれない程あるそうです。
なお、「天下取るまで大事な体、ノミに喰わせてなるものか」という歌詞は、「鹿児島豪傑節」ではないかともおっしゃられていました。豪傑節は幕末、維新戦争に出かけて活躍した薩摩藩士たちが、自らの戦争体験をオハラ節にのせて酒の席で、即興で歌ったものだそうです。鹿児島田原坂、豪傑節田原坂などとも言うそうです。
また、「雨は降る降る 人馬は濡れる」の「人馬」は元々は「陣場」で、「陣場は濡れる」と 雨の陣地戦の厳しさを歌ったものとも。他に 「陣羽は濡れる」、「右手に血刀 左手に生首」なども。
歌の系統には、明治30年ごろまでの「元歌」、昭和初期のレコード化された以降の「民謡調」、昭和30年代に作られた「音頭調」の3つがあるそうです。一般的なのは、民謡調の田原坂です。全国的に有名になったのは大正14年、NHKのラジオ放送が始まり、その後の昭和2年、熊本の芸奴留吉が朝菊の三味線により、節をつけて唄ったものが放送され、全国的に知られるようになったそうです。その唄がどんな調子のものだったのか録音がありませんので不明のままだそうです。ただ、昭和6年のSPレコードが見つかり、その歌は現在よりもテンポが早いそうです。その後、歌詞への思い入れを強くした、ゆったりとした「民謡調の田原坂」が歌われるようになったとのことです。
まだまだ、調べれば、いろいろあるようですが、このへんで。
民謡田原坂を検索していましたら、貴校のサイトにたどり着きました。なぜ田原坂かと申しますと、父が私の子供時分に歌っていた歌が、「馬手に血刀…」であったのです。これは2番のようですね。幼少時には、この歌詞が全く理解できず、理解できてからもどこの歌だかわかりませんでした。しかし非常に印象のある中身で、今回ふと思いつき、いろいと調べておりました。しかしながら、どうやら父の歌っていたものが、この民謡とは異なっていたようなのです。歌詞は「馬手に血刀、弓手に手綱、手綱、ばいさらきんきらきん、馬上ゆたかな美少年、それも愉快なきんきなきんのきんきん、きんきらきんのがにまさぞん、がにまさぞんのよこべやべや、よこべたてべやはってこべや、はってこべや、はってこべや」と、こういうものです。節も、私は絶対音階がわかりますので、階名でよろしければお伝えできます。ですから、これはこの民謡ではないようですので、一体何なのかが、実は知りたかったのであり、貴校がおわかりであったら、ご教授願えましたら幸甚です。よろしくお願いいたします。(2004年2月29日)
歌詞を考えると、「田原坂」や「鹿児島豪傑節」などに似てますが、後半部分は熊本の民謡「キンキラキン」の歌詞にも似ています。ひらがなの部分は合いの手かとも思われますが、歌を聴いて見なければ判断は無理ですね。、「田原坂」や「鹿児島豪傑節」にもたくさんの歌詞(宴席で歌った即興の歌詞も含む)があったとのことです。音階のほう、よろしければお願い致します。歌詞にはいろいろ替え歌もあって、判別が難しいようですが、メロディーが解れば、曲名が特定しやすいかとも思います。曲名が解るという保障はありませんが、周囲の方々にも尋ねてみたいと思います。 音階は、 音階、ありがとうございました。私では解りませんでしたので、音楽の先生に尋ねてみました。一部解りにくい点があるそうですが、田原坂とキンキラキンが入り混じった歌(?)のようだということでした。正式(?)に伝わっている歌ではなく、即興(?)というか、あるいはその地域の童歌ではないだろうか(?)ということのようです。断定はできません。あまりお力にはなれなかったことをお許しください。 歌詞と音階は上にありますので、気付かれた方が居られましたら、お教えください。よろしくお願い致します。 上記の件について「質問から1年たっていて申し訳ありません。その方のお父様は拓殖大学出身ではないでしょうか?拓大の歌集に同じ歌詞でありますよ。」とのメールをいただきました。拓殖大学にも問い合わせをしましたところ、相撲部の応援歌とのこと。貴重な情報、ありがとうございました。拓殖大学の相撲部またはその関係者に熊本県出身者が居られたのでしょうか。田原坂とキンキラキンを組み合わせて、応援歌を作られたのでしょうね。(2005/02/22) その後、拓殖大学広報室より送って頂いた「拓殖大学歌集」から「拓大キンキラ節 」の歌詞を紹介しておきます。
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「デンデラレン」と「おてもやん」について、以下のようなメールをいただきました。
デンデラレンケンとほぼ同じモチーフの民謡が長崎でデンデロリュウと呼ばれているようですが、歌詞は長崎の方が面白く、恐らく長崎の方が本歌ではないかと思います。 また、「おてもやん」の歌詞の解説については、以前から不満に感じていることが一つあります。つまり、「春日ボウブラドン達ゃシリヒッピャージ」という歌詞を、普通は「尻を引っ張って」と訳すようですが、それは間違いだと思います。このような訳では、その後の「花盛り」という歌詞との関連も不明確になってしまいます。熊本弁で「シリヒッピャージ」と言えば、それは明らかに「尻をひっぺがして」という意味です。したがって、この歌詞は、小さなカボチャの実がその尻(ヘタの反対側)に萎れて裏返しになったような大きな花をくっつけてコロコロ転がっている様子をユーモラスに表現していると考えるべきだと思います。(2000/06/15) |
私の友達の自衛官が、同室だった熊本出身の人に教わった歌では、 でんでらるーばー出てくるばってん でん出られんけん出ーて来んけん こん来られんけん来られられんけん こーんこん という内容でした。楽譜は、音才がないため書けませんが、歌うことはできます。(2001/05/10) |
「おてもやん」関係は、別ページへ移動しました。
熊本の方言についてはこちらをご覧ください。
最終更新:2007/08/24
制作:熊本国府高等学校パソコン同好会