石橋を訪ねて! |
---|
1996年4月3日、突然、クラブの先生から「今から石橋を見にいかんか?」と言われ、連れられてきたところが、緑川流域の「二俣二橋」であった。 午後12時30分過ぎ、学校を出発。道に迷いながらもやってきた。この二俣二橋の下を流れている川を眺めながら昼食をとる。いかにも大自然だという雰囲気。空気や川の水は澄んでいて、とても綺麗。付近の家から洗濯排水が流れ出しているのが見え、気になってしまった。あたりは実に静か、たまに通る車の音もうざったくなってくるぐらいだ。どこから来たのか、この川には、アヒルやアイガモが数匹いて、仲よくじゃれあいながら遊んでいる。 この橋を最初に見たイメージは、「思ったよりもかなり小さい橋だな」と思った。それは、この橋の上流に、二俣二橋よりも数倍は大きいと思われる近代的な橋(現在の国道の橋)が二つ並んでいたからであろうか? それにしても小さい。二俣二橋と言ういかにも大きそうな名前が付いているので、さぞかし大きな橋なのだろうと思っていた私にはなんとなくあっけなく感じてしまったというのも正直な気持ち。
しかし、近くからじっと見ていると、どっしりと、とても力強く感じられる。橋を形作っている一つ一つの石の組み合わせ、コンクリートのスペーットした橋に比べ、がっしりと、重く、ずいぶんと頑丈そうだ。人間が石を一段一段、一人ひとりの手で、苦労しながら積み重ねた「血」「汗」と「労働」がぎっしりつまった石橋である。近代的な機械を使って簡単に仕上げた橋との違いだろうか、静かな威厳を感じる。 (なお、この二俣橋、最近では隣の新橋と国道に架かる新・旧の年祢(としね)橋とあわせて、「二俣五橋」とも言われています。なお、5つの石橋の架橋年は、それぞれ1829年、1830年、1924年、1945年、1970年となっています。)
二俣二橋を訪れた後、「石匠館」(熊本県八代郡東陽村大字北98−2)を訪ねました。
東陽村の「石匠館」というのは「石橋の資料館」です。「肥後の石橋」の基礎知識を得るのに最適な場所かと思います。 私たちが「インターネットに、石橋を紹介するページを作成しようと、この石匠館を訪れました!」と館長さんにお話しすると、快く館内を案内しながら、詳しく説明してくださいました。館長さん、本当にありがとうございました。 館内に入って、まず目につくのが、通潤橋の3分の1サイズという大きな模型(下の図)でした。それは、アーチ橋(通潤橋))を作るときの基礎(土台)で、支保工といいます。支保工は材木で組み立てられた、石造アーチ橋を造るための土台です。支保工の上に石を次々に並べていき、石橋を作っていくのだそうです。この支保工を前に、アーチ石橋の作成の工程を説明していただきました。 その他、藤原林七や橋本勘五郎など、肥後の石工を中心とした「石工年表」もあり、彼らの生涯を知ることができます。また、石橋を造っている途中の様子が、人形を使って再現してあったり、20キログラムの石をロープを使って引き上げたり、滑車を用いて同じ重さの石を引っ張ることが体験でき、二通りで引っ張った場合の重さの違いを実感できるようになっています。 このように、石橋のことについて詳しく知ることができます。実際に触ったり、組み立てたり、体験する事は、単なる書籍の写真や絵とは大きく違います。自分の頭の中で描いていた石橋や石工に関する考えが、どんどん変化していき、石橋への興味と愛着が更に深まっていきました。 「百聞は一見にしかず」、実際に見る石橋は迫力があります。石橋がいろいろと語りかけてくるような気さえします。「私たちのことを、いつまでも忘れないで!」と・・・。 皆さん、一度は実物の石橋を見に行かれることをおすすめします。この石匠館の周辺にも、種山石工の祖「林七」が手がけた石橋を含めて多数の石橋があります。別ページに、石匠館紹介や東陽村の石橋マップもあります。
|
本ページは「肥後の石橋」で最初に発信した記念すべきページです。
写真もGIFファイルで、ファイル容量を小さくするために最大限に減色圧縮しています。
最終更新:2001/06/15