- 九州鉄道 (長崎ー鳥栖線・現長崎本線)
明治に九州鉄道によって計画、敷設された路線で、開業当時は現在の佐世保線・大村線経由によって鳥栖−長崎間を結んでいた。
明治24(1891).8.20 九州鉄道により鳥栖−佐賀間が開通
明治31(1898).11.27 現在の佐世保・大村線経由によって鳥栖−長崎間が全通
- 九州鉄道(門司ー熊本線・現鹿児島本線)
明治24(1891).7.1 九州鉄道により、門司(現:門司港)−熊本間が全通 1日3往復、所要7時間24分
明治36(1903).5.10 門司−八代間に九州初の急行設定(所要時間6時間27分)
- 山陽鉄道(現山陽本線)
明治34(1901).5.27 厚狭−馬関(現在の下関)間が開通。これにより、神戸−馬関間の路線が全通
明治39(1906).12.1 山陽鉄道が国有化され、山陽本線となる
- 東海道本線
明治29(1896).9.1 新橋−神戸間に急行列車が登場。所要時間は17時間22分
明治33(1900).10 寝台車が登場
明治34(1901).12 食堂車が登場
明治39(1906).4.16 新橋−神戸間を13時間40分で結ぶ「最急行列車」が登場
これ以後、急行料金が必要になる
以上 <鉄道写真館 Home>より抜粋
- 冨崎コメント:
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- 陸路(鉄道利用)により、 熊本滞在2泊として 帰国日程を推定してみる。
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明治36年1月20日 |
長崎ー鳥栖ー熊本(泊) A |
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同月21日 |
挨拶回り(泊) |
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同月22・23日 |
熊本ー門司・下関ー(車中泊)ー神戸(泊) B |
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同月23・24日 |
神戸ー(車中泊)ー新橋 C |
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A |
長崎ー諫早ー熊本(推定) |
約 8時間 |
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B |
熊本ー門司
下関ー神戸(推定) |
約 8時間
約10時間 |
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C |
神戸ー新橋(急行) |
約18時間 |
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乗車時間 合計 |
約44時間 |
- 漱石が帰朝にあたり乗船していた博多号(日本郵船・貨客船:3,814トン、ロンドン発)は、1月22日夜 神戸港着、ただし同港での荷卸・荷積に日を費やしたらしく、最終目的地の横浜到着は、1月24日を越えーおそらく27日ごろになったようである(読売新聞・The
Japan Weekly Mail)いずれも具体的な到着日の記載がないので、本当のところは不明である。ちなみに同船は、2月5日横須賀に荷卸ないし船舶検査のため回航され、次いで2月21日、改めてロンドン・アントワープに向けて、欧州航路に出航したという記事が出ている
- 要するに、漱石が東海道線を利用したのは、そのほうが早く帰宅できるというそれだけの理由だった?漱石は、山陽線全通の前年(明治33年)、英国留学に出発しており、熊本ー東京間の全線利用の機会は持たなかったわけである。そうであるなら、帰国報告のため熊本に立寄るついでに、山陽鉄道経由で帰京を・・・・と思いついた可能性は、まるっきりゼロとは言えない。ただし、極端に過酷なスケジュールである。健康すぐれぬ漱石の果たして堪えるところであったか。
私は、自分の体験からして、極めて懐疑的である。上記時間(大方三昼夜)には、待ちあわせ・乗り換え・休憩・宿泊滞在等の時間を含んでいないのであるから、なおさらと思う。
- 追記: 以上、我ながら大変乱暴な意見で、もう少し補足調査をと思っていますので、お含み置きをお願いいたします。冨崎(H14.3.1)
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