熊本文学散歩


海達 公子かいたつ きみこ

  
 「夕日」

 もうすこしで
 ちっこうの
 さきにはいる
 お日さん

 がたにひかって
 まばゆい
 まばゆい

 (ちっこう:築港 港、がた:干潟)
 上の写真が海達公子さんの銅像、左がすぐ横の「夕日」の詩碑。ともに荒尾第二小学校の玄関前に。
 そこには「昭和4年荒尾第二小学校卒業。たくさんの詩をつくり、作品は赤い鳥などに掲載され、全国に知られ注目された。夕日は2年生の時の作。校庭から夕日が見えた。昭和8年3月26日没」等々と記されています。
 荒尾第二小学校の銅像は昭和56年3月26日建立。日曜日も校門が開いており、写真を撮ることができました。(撮影:2003/02/09)
 
以下、遺稿詩集より紹介します。
「ひし」

とがった
ひしのみ
うらで
もずが
ないた
「すすき」

さら さら すすき
お山のすすき
おててのばして
なにさがす
あおいお空に
なにさがす
「お日さん」

お山の上が
光り出した
お日さんの
上る道
あすこ
あすこ
別ページで、もう少し紹介します。
 海達公子さんは、大正5年(1916)8月23日長野県飯田市に生まれ、お父さんの仕事の関係で荒尾市で育ちます。大正12年に荒尾北尋常小学校(現在の荒尾第二小学校)入学、昭和4年には高瀬高等女学校(現、玉名高校)へ進学、その短い一生を終えたのが昭和8年(1933)3月26日。女学校卒業式後に虫垂炎で倒れ、腹膜炎を併発したのです。16歳の若さでした。今だったら、簡単に治る病気なのに・・・。
 小学校1年生の頃から、お父さんの指導で、児童自由詩や童謡を作り始めます。2年生の時「とがったひしのみ うらでもずがないた」という詩を文芸雑誌「赤い鳥」へ投稿。これを北原白秋が絶賛、「赤い鳥の大正13年7月号」に掲載されます。その後、児童文学誌や新聞・雑誌に次々と作品を発表し、全国的に知られるようになりました。
 事物をしっかりと見つめ、耳を澄まし、感じたことを書き綴れば、私たちにも詩や歌がつくれるのでしょうか。こんなにも豊かな表現、80年も前のものとは思えない新鮮さ、ストレートで愛らしいことばに充ちあふれています。彼女の心や目前の情景が刻々と色鮮やかに浮かび上がってきます。まさに有明の大自然とともに生きた、天才少女詩人「海達公子」さんだと思います。(2003/02/10)
<制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

 海達公子さんの生まれた市名を誤記していました。閲覧された方よりお教え頂き、訂正させて頂きました。申し訳ありませんでした。(2005/05/01)


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