創立当時の本校周辺地図
熊本国府高等学校
 下の地図は昭和17年(1942)当時のものです。「本校」とある場所が創立時(昭和16年、1941年)の校地で、本校の前が熊本市電の終点でした。当時の校名は「熊本女子商業学校」、所在地は「熊本市出水町大字今 578番地1」、昭和49年(1974)の表示変更により「熊本市出水1丁目1番16号」。昭和56年(1981)に「現在の本校」とある場所(〒862-0949 熊本市国府2丁目15番1号)に移転。
 
県立図書館の許可を頂き作成(2004/08/17) 年代別の3つの地図も

 地図にあるように、創立時は本校の校門前が市電の終点「水前寺」で、水前寺公園はすぐ隣でした。その後、東部(健軍)に軍需工場ができ、物資や人員輸送のため、市電を健軍まで延長されることになり、何と本校運動場の真中を市電が通過することに!電車通り北側部分(現在のサンリブや九州記念病院付近)は運動場として使い難く、その後現在の校地が運動場に。ちなみに地図の赤い部分が市電の軌道と電停名で、校地を分断する形で市電が延長された後も、新しい正門前が「水前寺公園前」電停やバス停に。なお、当時は「国分?」、現在はバス停も電停も「国府」です。読み方はともに「こくぶ」、いつから変ったのでしょうか、面白いですね。
 
 市電の終点が水前寺だったころの話です。大正13年に水前寺まで開通するのですが、期待したほど乗客が増えず、赤字状態だったといいます。電車の乗客を増やす対策として終点の水前寺公園に市立動物園を開園、動物園に行くため市電の乗客が増加したとのこと。当時の市長さんのアイデアには感心させられます。ところで、現在も市電は赤字だそうですが、市の中心部に大規模な市営地下駐車場を設置しています。中心部に駐車場があれば、ますます市電を利用しないのでは?市電も駐車場も赤字では?何か間違っているのでは!駐車場を作るなら市電の終点付近に作って、中心部へは市電を利用するようにすれば、交通渋滞・排気ガス対策、地球温暖化防止にも有効ではないでしょうか!
 更には今、九州新幹線が建設中ですが、新幹線は本当に熊本の為になるのでしょうか。鹿児島や福岡にとっては確かに利益があると思いますが、通過県の熊本にとっては・・・。建設費を両県と同じような負担をするなんて平等じゃないのでは・・・。本ページを作成しながら感じた事が次々、間違ってたらご免なさい。
製作:熊本国府高等学校PC同好会(最終更新:2006/09/21)

学校紹介へ 前のページへ 本校の沿革 詳しい沿革(年表) 地図で見る学校史