創草期本校への熱き思い

校長 星子孝之


 「先生は校長先生の外六名、生徒は三クラスで一八○名、校舎はすっかり古ぼけた一棟だけ。そうした中でしたが、私たちは、日本一の女子商業学校にしよう、日本一の女学生になろうと真剣に考え、その第一歩をふみ出しました。」(創立二○周年記念誌、玉泉会長古崎誠子氏)
 本校の誕生は、昭和一六年である。
 文部省が、本校の前身である修業年限四ヵ年の熊本商工会議所立熊本女子商業学校を、実業学校令に基づき設置認可したのは、昭和一六年三月二○日であった。そして同年五月一八日、出水町大字今字門前屋敷五七八番の立正高等女学校閉校後の校舎を活用し開校、同日第一回入学式を挙行し、小野(現古崎)誠子氏をはじめ向学心に燃えた一八○名の一期生が入学した。
 それから遡ること六年、本学園初代理事長(当時熊本商工会議所会頭)中山造酒夫先生は、産業経済界における女性の存在が大きく、その実業教育の必要性を痛感し、昭和一○年四月熊本商工会議所内に熊本女子商工実務員養成所を設置、その後、養成所の存在は大きく認められるところとなり、昭和一五年には二〇名から出発した収容人員が二○○名を越えるに至った。この経緯が動機となり、より高度な教育機関を創設したいとの思いが、本校の誕生となったのである。
 本校の建学の精神は「人間全体を正しく成長させる全人教育を基盤として、身体的、情操的、知性的、社会的、四面の調和的発達を遂げしめ、真に役立つ人材を育成する」ことにある。
 初代校長早坂留平治先生は、昭和一六年の『学校経営の大網』の中で、本校の使命を「温良貞淑なる日本女性の特質を発揮せしむると同時に、現代の実社会に適応する有能な婦人育成に努力し、特に、従来ともすれば欠如せる国民経済の常識と実務に関する知能を錬成し、以って本県唯一の甲種女子商業学校の使命を完うせんことを期するものである」とのべておられる。
 「真に役立つ人物を育成する」ために、実学を重視した教育を行い、社会に適応できる人物を育成したいというのである。当時、修業年限四ヵ年の商業学校は男子のみ収容し教育した熊本県立商業学校(現熊本県立熊本商業高等学校)が一校存在するのみであり、本校女子商業教育にかける初代校長先生の自負心と熱い心が伝ってくる。
 本校の創草期、予定した四月一日に開校できなかったなど決して順風満帆の船出ではなく、学校経営資金など苦難多きものがあった。また、当時わが国は、日中戦争が拡大長期化し、しかも太平洋戦争がはじまり戦時色は一層濃厚となり、学校育成の環境としては極めて厳しいものがあった。
 以来六○年の歳月が流れ、いまや本校は、男女共学、専門高校と普通高校の両面を備えた高等学校となり、これまで粒粒辛苦、積み重ねてきた歴史の上に輝きをみせている。
 その輝きは、創草期の本校に対する熱き思いが受け継がれ、結実した成果であり、その思いは、これからも後世に伝えていかなければならない。
 「大廈(か)の材は、一丘の木にあらず」
 本校教育の大事業は、これまで多くの方々の努力によるものであり、その偉業に敬意を表し感謝申し上げたい。その感謝の念を本校発展に寄与することで表現したい。
平成13年10月 創立60周年によせて

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