藤井 日達ふじい にったつ


 

藤井日達上人 黄色いインド風の僧衣をまとい、団扇太鼓(うちわだいこ)をたたきながら「南無妙法蓮華経」と唱えて行進しているお坊さんを見かけたことがありませんか。熊本出身の藤井日達上人(1885~1985 左写真:花岡山道場より頂きました)が始められた日本山妙法寺のお坊さん達です。日達上人は、熊本駅裏にある花岡山の仏舎利塔を建てられた方でもあります。

 藤井日達上人は、明治18(1885)年8月6日、熊本県阿蘇市一の宮町坂梨に生まれたお坊さんで、仏教は世界平和の理想を実現する教えだと、世界の平和運動に取り組まれた方です。大分県の臼杵農学校に学び、最初は内村鑑三(1861~1930)の考えに魅かれキリスト教に、その後、日蓮(1222~1282)の考え方・生き方に出会います。明治36(1961)年、農学校を卒業と同時に臼杵の日蓮宗法音寺で出家、翌年日蓮宗大学(立正大学の前身)に入学。さらに浄土宗大学院、真言宗学林、法隆寺勤学院、真言宗連合大学、臨済宗建仁寺僧堂で学ぶというふうに、様々な宗派を学んでいます。このことが後年世界中の様々な宗教指導者を集めて世界宗教者平和会議を提唱・実現するなど、1宗派・宗教を超えた世界平和を目指す活動の礎となったのではないでしょうか。

 大正7年(1918)10月、中国の遼陽(りょうよう、リアオヤン)に最初の日本山妙法寺を建立します。その後中国各地をはじめ、国内外に日本山妙法寺が次々と建立されることに。昭和5年(1930)お母さんの死をきっかけにして、仏法は必ずインドに帰ると信じインドに渡ります。昭和8年(1933)インド独立の父マハトマ・ガンジー(1869~1948)と出会い、マハトマの非暴力主義が仏教の教えに通じることを知り、マハトマもまた日達上人や仏教の絶対的非暴力主義思想に感銘を受けたとのこと。マハトマ・ガンジーの後継者であるインドのネルー(ネール)元首相が、敗戦国日本の国際社会復帰を側面から援助されたというのも、日達上人の影響もあるのではないでしょうか。

花岡山の仏舎利塔 日達上人は世界平和を祈願して、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパと、世界各地にたくさんの仏舎利塔を建立されています。花岡山道場にお聞きしたたところ、インド(6)、スリランカ(4)、ネパール(2)、ヨーロッパ(4)、アメリカ(2)を含め、73(H15.12現在)の仏舎利塔があるそうです。仏舎利塔とは、元々古代インドのアショカ王(在位紀元前268~232)が戦争の空しさ・悲惨さを思い、二度と戦争をしないという平和を誓って、8万4千の仏舎利(お釈迦様の骨)を納める塔を建てたというのが始まりだそうです。日達上人はその例にならい、世界中に非暴力・平和のシンボルとして、仏舎利塔を建立されます。昭和29年(1954)には、当時のネルー首相より贈られた仏舎利を納めるため、熊本駅裏の花岡山山頂にパゴダ(Pagoda、南アジアの仏塔)風の仏舎利塔(右写真:H15.12.9撮影)を建立します。白い仏舎利塔はよく目立ち、市内の方々から見えます。そのほかにも県内には、一の宮町、本渡市、山鹿市、高森町、新和町に仏舎利塔があります。

 日達上人は自分の宗派・宗教にとらわれることなく、国内外の平和運動に積極的に関わり、世界中の様々な宗教人に呼びかけて「世界宗教者平和会議」や「世界平和会議」の開催に尽力するなど、非暴力世界平和を目指した行動力を伴った世界的偉人だと思います。このような方が、私たちのふるさと熊本に生まれていたことをうれしく思います。

 余談になりますが、日達上人の自伝「わが非暴力」の中に「熊本の方には日蓮宗のお寺がほとんどありませんでした。禅宗や真宗のお寺ばかりで、日蓮宗のお題目を毛嫌いする風習があったほどです。まだ子供のおり、ライ病にかかった人が本妙寺という清正公の菩提所に詣って、南無妙法蓮華経を唱えると聞きました。事実、題目を唱えるのはライ病にかかった人の仕事だとばかり考えて、嫌うんですね。」と。当時のハンセン病に対する差別の一端を知ることにも。
 

 現在、イラク、アフガニスタン、イスラエルとパレスチナなど、世界中で醜い戦いが繰り返されています。日達上人が生きておられたら、どう思われるのでしょうか。思想・宗教・民族に関係なく、平和を願う気持ちは人類共通のもの。「平和を築くために戦争をする」という考えは矛盾しています。非暴力平和主義というのは理想主義であって非現実的なのでしょうか。いや、暴力は絶対に認められません。理想を追い求めることは大切な事、一日も早く平和な地球となることを祈るばかりです。(2003/12/19)

参考図書:藤井日達自伝「わが非暴力」(昭和47年春秋社発行)
 最終更新:2008/08/03
文責:熊本国府高等学校PC同好会
 

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