日本全国の石橋数の一覧です。これは、長崎県の山口祐造さんが著された「石橋は生きている(葦書房発行)」の「県別石橋一覧表」から数えたものです。山口さんは長年かけて全国の石橋を調査研究されてきました。この数字には、すでに流出したものや解体されたものも含まれております。
完成時期 | 熊 本 | 長 崎 | 鹿児島 | 大 分 | 福 岡 | 佐 賀 | 宮 崎 | 沖 縄 | その他 | 全国計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
江戸末期まで | 173 | 41 | 77 | 68 | 13 | 4 | 10 | 14 | 18 | 418 |
明治20年まで | 56 | 15 | 14 | 17 | 12 | 3 | 2 | 0 | 58 | 177 |
1899年まで | 13 | 6 | 24 | 28 | 8 | 3 | 1 | 0 | 10 | 93 |
それ以降 | 88 | 63 | 151 | 254 | 47 | 16 | 16 | 0 | 17 | 652 |
総数 | 330 | 125 | 266 | 367 | 80 | 26 | 29 | 14 | 103 | 1340 |
山口祐造著「石橋は生きている」の県別石橋一覧表(平成4年4月1日現在)より集計
日本で最も古い「アーチ式石橋」は沖縄の石橋で、1452年に造られています。新しいものでは、大正・昭和に入ってからのものもあります。石橋はどれも石橋ですが、本サイトで扱う「石橋」の定義も難しくなります。本サイトでの「肥後の石橋」を、西洋土木工法が伝来する以前に完成したアーチ式の石橋と定義したい思っています。
上の一覧表には、昭和に入ってから完成した新しい石橋も含まれています。総数では、大分が全国一の石橋数を誇りますが、年代的に新しい石橋が大半を占めています。江戸時代や明治20年までの石橋の数では、「熊本」は他県を圧倒しています。熊本を「石橋の故郷」とした理由のひとつです。
鹿児島や大分では、大正以降のものも多く、特に大分では半分以上の189基が造られております。「何故、石橋が造り続けられたのか?」 新たな疑問が浮かんできます。石橋に何らかな利点や魅力を感じていたのではないでしょうか? 大分は石仏でも有名ですが、石に対する信仰心が特にあつかったのでしょうか? 聞くところによると、熊本では、明治の後半になっても、アーチ式の石橋を作り続けた石工たちに対し、「まだ、金のかかる石橋を造り続けるのか、コンクリートのほうが安上がりなのに!」など、非難の声があったともいいます。アーチ技術を受け継ぐ石工が消えていった理由なのでしょうか? 更に、沖縄では、享保20年(1735)を最後に、石橋が造られていないのは、何故でしょうか? このように、石橋を調べれば調べるほど、新たな疑問が次々と浮かび、解らないことばかり、興味は尽きません。私たちの疑問に対するご意見やご教示を含め、石橋に関する、各種の情報をお待ちします。 |
平成14年7月25日、石橋研究のバイブル的存在でもある「石橋は生きている」の著者であられる諫早市の山口祐造先生(前日本石橋を守る会事務局長)が他界されました。日本石橋を守る会を結成され、結成後も運営はもとより開始発行、事務局運営、現地調査、工事指導、執筆活動等々縦横無尽の活躍をされていました。平成11年、本ページに「石橋は生きている」よりのデータを掲載するときも快く承諾いただき、また御船川目鑑橋復元のことをお話した時も、「是非頑張れ、設計は引き受けてもいい・・・・」など、熱っぽく話されていたことが思い出されます。諫早眼鏡橋の解体移築工事を担当されて以来、石橋の調査・研究・保存活動に尽力されてきた山口祐造先生の多大なご功績をしのぶとともに、ご冥福をお祈りいたします。(平成14年8月) |
最終更新:2004/03/19