女流俳人の第一人者であった中村汀女は、明治33年(1900)熊本市の江津湖のほとりに生まれました。県立第一高女(現第一高校)卒業、その18歳の暮れに詠んだ「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」の句が認められて俳句を始めました。 その後結婚、子育てのため句作を中断しますが、再開して「ホトトギス」同人となり、戦後「風花」を創刊主宰。家庭的な日常の中に、深い叙情性をおびた句を詠み、多くの家庭婦人を俳句に親しませました。 ふるさとの「江津湖」を思い、母を恋した汀女、昭和54年(1979)熊本市の名誉市民となりました。昭和63年(1988)他界。江津湖湖畔に生家が残っておりましたが、現在では取り壊されています。 |
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私が江津にいた頃までは、近所のどの家にも「藻取り舟」があった。それはいわゆる女竹を二本使って、江津湖の藻を取る仕事、いわゆる「藻じき竿」は、女手でもできたようで、男手のない近所の「えもさん」という女の人が、私の前の槙垣ぞいにその竿を持って通ったことを懐かしく思い出す。(昭和60年3月熊本市環境保健課発行「江津湖の自然」より抜粋) |
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江津湖及びその周辺には、県立図書館の裏以外にも、生家(生家が取り壊された後、江津湖対岸の遊歩道沿いに移設)や画図小学校にも句碑が残っております。なお、図書館横の近代文学館には常設の展示コーナーがあります。江津湖やその周辺をゆっくりと散策してみてください。今でも、汀女さんの俳句の風景と出会うことができることと思います。 |
中村汀女さんをしのび、俳句愛好者の句会も開かれます 小学生から一般の方までの入選作の幟(のぼり)が湖面にはためきます 江津湖をこよなく愛した女流俳人は、今でも市民のあこがれ! 2000/09/24 撮影(江津湖中の島にて) |
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