明治39年(1906)5月15日、農業移民の子としてアメリカのシアトルで生まれ、本名は上塚貞雄(うえつか さだお)。明治45年(1912)、日本で教育を受けるため母とともに帰国、父母のふるさとである下益城郡杉上村(現在の城南町)や上益城郡白旗村(現在の甲佐町)などで育ちます。白旗小学校・杉上西小学校、九州学院を経て、青山学院に進学します。
投稿が縁で、雑誌「新青年」編集長横溝正史(よこみぞ せいし、金田一耕介シリーズ等で有名な作家、乾にとって生涯の恩人であり友人でも)を知り、卒業後その博文館に入社。探偵小説の翻訳を主に、幅広い分野を盛り込んだモダン感覚の教養雑誌「新青年」の編集者となり、編集長も務めますが、社長と編集方針で意見が合わず、昭和13年退社、本格的に文学の道を志します。
戦後はNHKの連続ドラマ「青いノート」や児童ものの「コロの物語」など、まずラジオドラマでヒットを飛ばします。更には、英米の動物小説やアガサ・クリスティーの作品の翻訳など幅広く活躍します。特筆すべきものとして、動物文学。中でも子供のころから深い愛情を注いだ猫については、さまざまなエッセイや飼育書に至るまで、数多くの作品を残しています。日本における動物文学の先駆者でもあります。平成12年(2000)1月29日死去。
ところで、乾信一郎(いぬいしんいちろう)というペンネームですが、乾信四郎を音読みにすると「かんしんしろう」、即ち「感心しろ」が由来とのこと。しかし「感心しろ」では気が引けると「乾信一郎」としたとのことです。実にユーモアに富まれだ方だと「感心」させられてしまいます。
乾信一郎を研究されている広島の天瀬裕康(ペンネーム)先生によると、「新青年」での活躍や「早川書房の翻訳もの」が特に有名だが、昭和20年代に広島図書(株)の小・中学生向けの教育雑誌「ぎんのすず」「銀の鈴」「銀鈴」「理科と社会科」「青空」「新科学」等に掲載された作品群にも、注目すべきものが多いとのことです。これらの教育雑誌で発表された児童向けの作品は、歴史的偉人の伝記をはじめ、生き物への情愛、科学への夢や興味を喚起する話等々、まさに未来を生きる子供たちへのメッセージ、ミステリー小説とは一味違う作品群です。
ところで、教育雑誌で発表された作品の大半は簡単には入手できないようです。今後、復刻版や全集の予定はないのでしょうか。ただ、「青空」等の少女雑誌に関しては熊本の菊陽町立図書館に揃っているとのことで、是非読んでみたいものです。これらの児童文学や動物文学に、欧米文学等の翻訳ものを含めると、作品数は熊本出身の作家の中では群を抜くのではないかとのことです。
碑文は小説「敬天寮の君子たち」より |
この文学碑(撮影:2005/10/02)は親戚であられる石橋資料館「石匠館」の上塚館長が下益城郡城南町赤見に建立されたものです。私自身、この文学碑に気づかなかったら、乾信一郎という作家を知らずにいたはずです。上塚先生が「城南町には文学碑が無かったので建立・・・」と言っておられましたが、文学碑を通して、作家を知り、作品に出会うこととなりました。文学碑というものの存在価値を改めて知ることにも。
なお、本ページ作成に当たっては、平成17年7月15日から8月31日まで熊本近代文学館で開催された「乾信一郎 猫と青春展」で戴いたパンフレットや天瀬裕康先生の「時空外彷徨18~20号」等を参考にさせていただきました。
本文にも書いていますが、広島図書(株)の小・中学生向けの教育雑誌「銀の鈴」等に発表された作品の大半は、今では目にすることができないようです。しかし、当時の小・中学生は購読した方も多かったのでは、雑誌が本棚や物置の奥に眠っている可能性もあるかと。もし見つけられた方がおられましたら、提供していただければと思います。図書館等で大切に管理・保存していってもらいたいものです。よろしくお願い致します。
外部リンク | 乾信一郎と『銀の鈴』誌(時空外彷徨 18号) |
乾信一郎と広島図書(時空外彷徨 19号) |
最終更新:2009/10/19