水前寺成趣園 | 古今伝授の間 | 出水神社 | ジェーンズ邸 |
夏目漱石の第3の旧居 | 熊本市動植物園 | 県立図書館 | 熊本近代文学館 |
熊本市総合体育館 | 徳富記念館 | 四時軒 | 小楠公園 |
熊本市の東南部にあり、湖底から随所に湧き出る地下水と、水前寺から流れ込む清水からなる江津湖。市民の憩いの場として、古くから親しまれてきました。
水温の変化が年別を通してほとんどなく、水生植物が豊富で、魚類も多く生息しています.越冬ツバメの生息地でもあり、カモも多数飛来しています。 | |
中村汀女の句碑 |
江津湖に面して、動物園、図書館、体育館などか建ち、ポート、釣り、散歩の場としてにぎわっています。しかし近年、周辺の都市化に伴う排水などで、透明度が低下し、問題となっています。 夏には叙情的な屋形舟が浮かび、花火大会が行われます。
また、周囲の散歩コースには漱石や汀女をはじめ、数多くの句碑や歌碑も数建てられています。
清らかな湧き水に、ゆうゆうと泳ぐ鯉の群れ。日本中に名が知られているこの庭園は、もともとお茶屋と呼ばれた、細川藩主の休息所でした。寛永9年(1632)肥後の領主となった細川忠利によって築造が始められ、孫の綱利のときに桃山式庭園が完成しました。
東海道五十三次になぞらえたといわれる芝山や泉水に浮かぶ小島、富士山に見立てられた築山の周りは刈り込みも美しく、四季折々に訪れる人々を楽しませてくれます。 国の天然記念物で、古くは細川藩から江戸将軍家への献上品でもあった「水前寺のり」の発生地としても知られています。 |
水前寺成趣園の池端に建つ、茅葺き(かやぶき)の風雅な茶室。細川藤孝(幽斉)か慶長5年(1600)、後成天皇の弟宮智仁親王に「古今和歌集」の秘伝を伝えたところから、この名がついたといわれています。
この建物は、京都にあって長岡茶室と呼ばれていましたが、明治になって細川家に返され、大正元年(1912)現在地に再建されました。杉戸の「雲竜」は狩野永徳、襖の「竹林の七賢」は海北友松の作と伝えられています。 茶室ではお茶とお菓子が賞味でき、ここから眺める成趣園はまた格別です。 |
水前寺成趣園のにあって、明治11年(1878)に創建された紳社。旧藩士の組織する甘とう会によって、藩祖細川藤孝、忠興、忠利、重賢を祀っています。その後、他の歴代藩主とガラシャ夫人玉子(忠興室)も併せ祀られています。 毎月8月の第1土曜の夜、薪能が奉納され、炎の中に浮かびあがる幽玄の世界は、熊本の夏の風物詩として市民に親しまれています。境内には宗不早(そうふかん)の歌碑かあります。 |
明治4年(1871)熊本藩に洋学校と医学校が設立されたときに、洋学校教師館として設けられた建物。そのとき招かれたアメリカ人数師ジェーンズは、西欧風の教育を行い、多くの優秀な人材を育てました。ここには、明治9年廃校になるまでの5年間住みました。 |
明治10年、西南の役のときは、有栖川宮親王の宿舎に充てられ、そのとき佐野常民らの博愛社(後の日本赤十字社)の創設願いが許可され、2階の一室で創設、日赤発祥の記念建造物ともいわれています。
当時は古城町(現県立第一高校内)にありましたが、その後、南千反畑町、水道町と移され、昭和45年(1970)現在地に移築し、一般に公開されています。木造2階建て、長崎から建材を搬入し、職人も招いて建てた熊本最古の洋式建築。
夏目漱石は、熊本滞在中6回転居しておりますが、そ第3の「大江の家」です。明治30年9月から31年3月まで住んでいます。当時、漱石も鏡子夫人も、桑畑の中の閑静なこの住まいが大変気に入ったとのこと。 「吾輩は猫である」の多々羅三平のモデルといわれる五高生股野義郎を書生として置き、「草枕」の舞台となる小天温泉に同僚の山川信次郎と旅したのもこの家からであった。 |
江津湖の水辺を利用した、全国でも珍しい水辺動物園。従来の動物たちに、カバやスイギュウなどの水獣、ペリカン、フラミンゴなどの水鳥を集めたところに特色があります。
園内にはモノレールなどの遊戯施設もあり、最近、珍獣クスクスも仲間に加わって多くの家族連れでにぎわっています。
また、植物園ゾーンには「緑の相談室」が設けられ、付近が一体となり、いこいの場として整備されています.
「温知館」と名付けられた県女図書館は、水前寺江津湖公園の一角に昭和60年開館しました。
それまであった千葉城町から移転され、蔵書能力100万冊、公立図書館では西日本一を誇っています。 コンピューターの導入により、図書検索システムが整備されるなど、利用者の便宜をはかっています。 | |
県立図書館横の芭蕉園 |
1階のサロンでは絵の展示会を催したり、調査や相談サービスも行っています。 水前寺公園や江津湖を訪れたさい気軽に立ち寄る市民も多いようです。
県立図書館の1階に併設され、熊本ゆかりの文学をたどることができるのが、ここ近代文学館です.初代館長に光岡明氏(直木賞作家)を迎え、昭和60年の開設以来、地方色を打ち出した展示で多くの人に親しまれています。
徳富蘇峰・蘆花兄弟、小泉八雲、夏目漱石、徳永直らよく知られた作家ばかりでなく、忘れてはならない郷土作家の展示、現代作家コーナーなども設けられています。
また中央ドームには、ボタンを押せば県内地図に作品の舞台となったところを示す設備や、4分割されたそれぞれの地域の文学コーナーを設置。文学散歩が気軽に楽しめるビデオコーナーもあり魅力あふれる文学館となっています.
長年親しまれてきた水前寺体育館が手狭になったため、昭和61年、青年会館と共に新築開館。地上3階、ソーラーシステムを兼ね備えた建物は、江津湖のほとりにあって、どっしりと建っています。
大・中・小体育室、室内温水プール、弓道場、武道場、その他トレーニング室、スポーツサウナまである、まさしく総合体育館にふさわしい施設です。
行事以外の空き時間は一般に開放され、スポーツ教室も開かれるなど広く利用されています。
熊本の生んだ文学者、徳富蘇峰・蘆花兄弟の資料や遺品約3、000点を集めた資料館。ここは、明治15年、蘇峰が開いた私学「大江義塾」の跡でもあり、当時の徳富旧邸も敷地内に保存されています。
また、庭には大江義塾創立記念の椎の木や、蘇峰の恩師・新島城襄が贈ったアメリカ土産のカタルパの木がそびえています。
開館:9:30〜16:30 入館料:無料休館:月曜、木曜午後、祝日 |
熊本市の東はずれ、秋津町沼山津にある横井小楠の住居。小楠は安政2年(1855)から明治元年(1868)維新政府に招かれて上京するまで、福井藩に招かれていた間を除く前後8年をここで暮らしました。
その間、塾を構えて門弟の指導にあたり、幕末の志士、板本竜馬らも訪ねて釆ています。 ここから眺める景観が四季折々素晴らしいことから、四時軒の名が付いたとされています。 昔のままの姿を残す座敷を中心に、昭和57年(1982)記念館とともに復元され、小楠ゆかりの資料が展示されています。 |
開館:9:30〜16:30 入館料:高校生以上200円、小・中学生100円
休館:月曜日(祝祭日の場合は翌日)
四時軒から北東方向へ10分ほど歩いた益城街道(県道旧熊本高森線)沿いに、沼山津神社のすぐ横に小楠公園に、横井小楠の銅像があります。 横井小楠は、幕末の政治家・思想家。文化6年(1809)肥後藩士横井時直の次男として、城下・内坪井(現熊本市)に生まれました。名は「時在」、号は「小楠」、「沼山」、通称「平四郎」。 時習館に学びましたが、後に実学党グループをつくって藩学に対抗したり、私塾小楠塾を開き。藩政改革派を育てました。 |
また「時務策」では、藩の経済行政を批判したので、藩から受け入れられませんでした。
しかし、福井藩の招へいにより藩政改革にあたったり、幕政改革に参画したりし、勝海舟とも親交があったようです。
明治元年(1868)上京し、維新政府の参与に任ぜられ、活躍が期待されましたが、明治2年攘夷論者の凶刀に倒れました。