「どんどや」とは
「どんどや」の語源については、火が燃えるのを「 小正月を中心に14日の夜または15日の朝に行う所が多いのだが、同様な火祭り行事を正月6日または7日に行う風習も。また一部では、「年越しどんど」と言って、大晦日に古い 枯れ木や青竹で高く櫓(やぐら)を組み、櫓の下に茅(かや)や藁(わら)などの燃えやすいものを詰め込んだ「どんどや」。火を放つと、「バンバン・バシーッ・・・」と大きな音を響かせて、天高く大きな火が舞い上がる姿は、まさに日本古来のファイヤーストームの様相も!竹ざおの先に鏡餅を挟んで焼いて食べるのも楽しみだった。食生活が豊かな最近の子供達にとっては興味はそれ程でもないようで、楽しんでいるのはお父さんやお母さん達だけかも知れませんね。 |
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以下、奈良県の岡本様からいただいた情報です。「とんど」と言うそうですが、その様子等、共通点も多く参考になりますので、写真とともに紹介させていただきます。
貴校「どんどや」拝見致しました。私の方も、青竹・藁(わら)・木端を組んだとんどの中に、注連縄(しめなわ)や神棚のお札類などを入れて燃やします。小さい頃は、1年間練習した習字の紙が燃えて高く舞い上がれば書道が上達する、とよく親に言われました。 かっては小正月の15日未明でしたが、今は成人の日です。隣組が順送りで当番を務め、日曜日に準備し、翌朝5時ごろから脇とんど(村人が暖を取る焚き火)を燃やし、区長が神社にお参りした火を6時にその年の恵方(えほう、干支で決まる吉の方向)から点火する慣わしです。払暁(ふつぎょう、明け方)のとんどは近隣では知りません。永く後々の世代にも引継いでもらいたいものです。
火勢が弱くなると、とんどの火を家紋の入った丸提灯に頂いて帰り、神仏にお灯明をお供えします。それから、その火を、昔はかまどに、今はガスコンロに移して「あずき粥(かゆ)」を炊き、餅を入れてきな粉で頂きます。小正月の雑煮なのでしょうか、我家では未だに頑なに守っています。
みんなが帰った頃、東の空がやっと白みかけ、やがて山の端から日の出が拝めた今年は最高でした。快晴・無風で炎の昇竜の如き写真の出来栄えに我ながら驚いています。
尚、私の村は「藤森」と言う環濠集落(かんごうしゅうらく、周囲をほりで囲まれた集落)でして、かっては大化の改新の藤原鎌足(かまたり)公に始まる多武峰(とうのみね)大職冠領で、社殿も多武峰・談山(だんざん)神社から移設され、村名もそれに由来する
--- と伝えられています。
ありがとうございました。習字紙の話等、聞いたことがあります。点火や分火のしきたり等、勉強になりました。最後は、とんどの火を各家に分火し神仏に供え、その火で調理をし、無病息災家内安全を祈念するというのが本来の習慣なのですね。どんどやも最近はほとんど昼間の行事になってしまっていますので、未明の炎(右上の写真、送っていただいたものを縮小しています)が実に迫力があり、印象的ですね。元々どんどやをはじめとする火祭りは夜の行事なのでしょうね。 |
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