水と戦争を考える |
本校の「水」のページ」に、”我が国では諸外国に比べ「水と空気と平和は ところが、世界の紛争や戦争関連の本を読んでも、水が原因となったとはありません。紛争の原因として紹介されているのは、主に宗教や民族、領土、政治などの問題ばかり。「何で?」という疑問、ますます高まることに。水と戦争について考えるのは間違っているのでしょうか。水は人間ばかりか、この世の命あるもの全てにとって、あまりにも尊くかつ不可欠なもの、忌まわしい戦争の理由にすることなんて、タブー(?)かとも思いました。しかし、本校の「水のページ」と「平和のページ」を結ぶ意味で、この問題を考えてみたいと思います。 人間は水がなくては生きていけない。その意味では、砂漠の国に限らず、全ての人間にとって、水は石油以上に死活問題です。石油が現在のように価値を持ち出したのは高々150年、水とは比較になりません。世界最大の油田地帯で繰り返されている中東戦争も、水をめぐる戦争だとも言えるのではないでしょうか。人口の急増で水不足に悩む国が、水源を確保する為、水が豊かなベカー平原やゴラン高原をめぐっての争いであったと考えることが自然でしょう。 我々生きものにとって一番大事なことは生命を守ること、すなわち安全保障。安全保障といえば、他国からの侵略防止や拉致問題などが思い浮かびます。それは水に恵まれている日本だからこそでしょう。砂漠の国々では「水の確保」=「安全保障」と言えるのではないでしょうか。 水源に乏しく、水道の蛇口をひねっても水が出ない、数週間に1回しか水が出ないところも。そこで、生きる為水を求めての争いが始まり、戦争へと発展するのではないでしょうか。 国連(2002年8月13日、水資源に関する報告書)によると「2025年には世界の人口のほぼ半分に当たる35億人が水不足に直面する」とのこと。「世界的な水の奪い合いが始まったとしたら?」恐ろしいことになります。これまでは比較的水に恵まれていた日本でした。だからと言って安心はできません。地球的規模の自然破壊や地球温暖化等、地球環境の変化による水不足に陥る危険性も大です。水争いから始まる地球的大戦争に巻き込まれないとは断言できません。 人は太古より、水がある場所を求めて移住し、集落をつくり、集落がまとまり国家へと発展します。同じ場所・地域に住む人たちが民族を形成し、同一の宗教を信じ、同胞意識を高めてきました。こう考えれば、民族間の戦争や宗教間の戦争も、元を正せば水と繋がるのでは。水不足は食糧不足や環境の悪化を招き、開発や発展を妨げる事に。「全ての戦争の根本的な原因は水である」と言っても過言ではないでしょう。 更には、自由に水道水を飲める環境にあるにも関わらず、より「おいしい」水を求めたり、浪費を繰り返したりしています。その一方で、深刻な水不足に悩まされている地域も多いのです。人口増、食糧危機、砂漠化、温暖化の進行など、水に関わる問題は深刻さを増す状況です。限られた空間である地球、まさに宇宙船「地球号」。地球上の全ての生命が、ともに助け合い、末永く生き続ける方法を見つけることが、私たちに与えられた努めではないのでしょうか。 ささいな行き違いから生じた争いも「水に流す」ことができれば・・・。水に流せば川や海は汚れる。汚れれば、きれいにするのが大変、費用も。有毒物質に汚染されれば命取り。昨今のイラク問題からも解るように、戦争は巨額な費用と犠牲を投じて国土を破壊し、その後の復興にも膨大な費用。戦争がいかに愚かなものであるかのお手本。自分の首をしめるような愚かな行為を繰り返してきた人間。しかし、これ以上過ちを繰り返すことは終りにしたいものです。 全ての生き物にとって、大切な「水」。水は世界的規模の大問題、国際的なルールづくりや協力体制によって解決しなければならないことが多い。しかし、私たち一人ひとりができることも。日常の節水や汚濁防止、水に関心を抱き、大切にする心をもつこと。水争いを回避するための小さな一歩です。今日から始めたいものです。限られた空間の限られた資源、みんなで大切に使っていくしかないはずです。 |
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<後記>水と比べて、空気は大気圏を自由に流れるので、これまではさほど大きな争いには至らなかったのかも知れません。しかし、放射能汚染、オゾン層破壊、CO2対策、温暖化対策、酸性雨対策など、大気に絡む国家間の対立も表面化しつつあります。「水と空気と平和」は、人類に与えられた最大の課題ではないかと思い始めています。(2003/10/29 最終更新:2004/09/05) | ||
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