暇つぶしに
数学(?)に挑戦しよう!


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 実は,前ページの2つの問題は,両方とも不可能なんです。
 「なあーんだ!馬鹿にしないでよ!」
 怒らないで下さい。これから,その理由を考えてみましょう。
 「ケーニヒスベルク7つの橋」の問題を不可能だと証明したのが,ドイツの大数学者オイラーです。
 1736年のことです。
 このときの問題解決の発想が,その後,新しい幾何学「トポロジー(位相幾何学)」の誕生のきっかけにもなったのです。
 この橋渡りの問題を,「一筆書き」の問題になおして,不可能を証明したのです。
 橋を渡る問題を一筆書きの問題と同じだと気づくなんて,やっぱし天才ですね。
 一筆書きは,「線がつながっているか」が重要で,途中の線が曲がっていようが,線が短いとか長いかは関係ないのです。
 これが「つながりの具合を示す幾何学」である「トポロジー」へと発展するのです。


 それでは,「一筆書き」について考えてみましょう。
偶店奇点
 一筆書きには,書き始めの点(始点)と書き終わりの点(終点)があります。それ以外の点(通過点)には,「入る線」があったら,必ず「出る線」がありますので,通過点に集まる線は偶数です。説明を簡単にするために,ある点に集まる線の数が偶数のとき,その点を「偶点」,集まる線の数が奇数のとき「奇点」と呼ぶことにします。

 通過点は必ず偶点ですから,始点と終点が一致している場合,その点も偶点(その点は通過点に,書き始めの線と書き終わりの線の2つが加わるから)です。よって,始点と終点が一致するときは,全ての点が偶点です。この場合は,どの点を始点としてもよく,終点を始点と一致させるように書けば良いのです。
 始点と終点が一致しないときは,始点と終点だけが奇点(偶点+1)で,他は全て通過点で偶点ですから,奇点は2つだけです。この場合は,奇点の片方を始点とし,もう一方の奇点を終点とすればいいのです。
 奇点は始点と終点にしかならないので,「一筆書きができる図形は,奇点の数が0個か2個」という結論になります。即ち,一筆書きができるかどうかは,奇点の数を数えればいいのです。
 


一筆書きのまとめ:

奇点が0個の場合 どの点から出発してもよく,最後に出発した点に戻るようにすればよい
奇点が2個の場合 奇点の片方を出発し,最後にもう一方の奇点に戻るようにすればよい
奇点が2個を超える 一筆書きは不可能

4つの地区を点で、7つの橋を線で
 大阪の道頓堀やケーニヒスベルクの問題を,一筆書きの問題(左図はケーニヒスベルクの例で,橋を線で,中の島や各区を点で表した。道頓堀のほうは自分で書いてみて下さい。)として考えれば,一筆書きが不可能だということが解ります。ケーニヒスベルクの場合は奇点が4つ,道頓堀の問題では6つもあり,できないのは当たり前ですね。

 「やっぱりできなかったのか,自分もできなかったんだから,それで正解だったんだ!」と思っている人はいませんか。
 しかし,それだけでは,正解とは言えません。「できなかった」ことと,「できないことを証明した」というのとは違います。問題には,「できない」とか「解がない」などの解答もあります。その場合は「できない」とか「答えがない」ということを証明しなければなりません。

 


 オイラーが不可能だと証明できたのは,問題の本質をつかみ,単純化(抽象化)に成功したからです。この問題を解くには,橋や島の形や大きさは関係ない,「島(点」)と島(点)が幾つの橋(何本の線)によってつながっているのか!」がポイントだと気付いたからでしょう。不必要な情報や条件に振り回されないこと,情報の取捨選択を的確にすばやく行うことが大切でしょう。情報過多時代を迎え,不要な情報に惑わされることが多い現代社会,学ぶべき点は更に多いかと思っています。

 ところで,道頓堀とケーニヒスベルクの2つの問題には,約100年の差があります。「鎖国状態の江戸時代,ヨーロッパの数学の問題が遠く離れた日本まで,どのような経緯で伝わってきたのでしょうか?」これも,興味ある問題ですね。調べられたり,知っておられる方がいらっしゃったら教えて下さい。

 さあ,これであなたも「一筆書きの天才?」となったはずです。
 難しい一筆書きの問題は,奇点を2つ,偶点をたくさん持った図形ですね。いろいろ作って,試してみて下さい。


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