くまもと「障害者」労働センター 代表 倉田 哲也
国府高校のみなさん。 くまもと「障害者」労働センターの代表をしています倉田哲也といいます。今日はどうぞよろしくお願いします。
見ての通り、僕は手の障害と言語障害がありますので、話が分からないところがあると思いますが、後で聞いて下さい。
紹介にもありましたように、僕は生まれつきの「障害」で、そのために4歳の頃から親とは離れて松橋の養護学校で生活しました。僕は手が使えない分、足を使うことが得意です。だから小さい時から足を使って字を書いたりご飯を食べたりしていました。だけど、その頃の養護学校は「健常」者に近づくような訓練をされていました。
だから僕が足を使うことは養護学校では禁止はされないけれど、よくしかられていました。「どうして足を使っていけないか?」と先生に聞くと、「社会に出てから周りの人に迷惑をかけるからだめだ」と言われました。だけど実際、社会に出て、僕が足を使って生活しているのを見ても誰も文句を言ってこない。
逆に気を使って「何か手伝いましょうか」というふうに声をかけてもらえます。今思えば、養護学校の先生たちの中に、僕が足を使うことは「特別なことなんだ」というように思われていたのではないかと思います。でも、僕にとって足を使って生活をすることは、僕の生活の一部になっているから、別に「特別なこと」でも何でもないんです。
1981年に国際障害者年があり、その時、「典子は今」という映画を見て、僕と同じように足を使って生活している人を見て、「じゃあ僕も足を使って生活していいんだ」という考え方に変わりました。それから精神的にも自信を持てるようになりました。
くまもと「障害」者労働センターには、現在、10名の人たちが毎日自宅から通ってきたり、アパートを借りてそこから電動車椅子で通って働いている人もいます。今は、主に牛乳パックを学校やいろんな所に取りに行っています。その牛乳パックからトイレットペーパーやノートとか便せんや葉書を作ったり、再生紙にしたりしています。
その他にも、合成洗剤ではなく、粉石鹸を販売しています。農薬を使っていないコーヒーやお茶も販売しています。それから、いろんな学校に行って、生徒や先生方に「障害」者の思いとかを話したりして、啓発活動等もやっています。
養護学校の高等部を卒業する時、僕は、一般企業に就職したかったんですけど、「障害」が重いといいうことで、どこの企業も受け入れてもらえませんでした。家族からは「施設に入ったほうがいい」と言われましたが、今まで十数年も養護学校で暮らして、家族とも離れ、地域からも離れて暮らしていましたので、「これ以上地域から離れて暮らしたくない」と考え、就職できないなら自分たちで仕事をしようということになり、くまもと「障害者」労働センターという作業所を作りました。
地域の中で暮らすようになって一番困ったことは何かというと、「障害」者が地域のなかで自立生活をするといっても、自分一人ではできません。だから多くの介護者が必要になってきます。
一番に困ったことは、地域の中で生活していなかったので「健常」者の友だちが一人もいなかったことです。やはり、友達がいないと、ボランティアや介護者を捜すことも大変なんです。大学に行ってチラシをまいて介護者を募集したりしてそういう努力もしました。
でも、全然辛くはありませんでした。次第に地域の中で生活することでたくさんの友達もできてきました。現在あるホームヘルパー制度、「障害」者が地域の中で生きていくためにたくさんの人が要求していくなかで制度ができました。寝たきりの「障害」者に24時間介護体制のホームヘルパー制度もできました。
いろんな学校に行って、生徒さんたちの話を聞いたりすることがあります。家庭の事情で厳しい状況の中で生きている生徒さんたちや、自分の気持ちを伝えたいけど、話せる友達がいないと聞きます。
今、多くの学校現場でいろんな事件が起こっていますけど、やはり、周りの大人たちにも責任はあると思います。僕はいろんな学校に行ってこんな話をします。「学校で生徒たちのカバンのなかを見るのではなく、生徒たちの心の中を見て欲しい。」もっと生徒たちの話を聞いて下さい。
生徒たちの中にも勉強が得意な人、苦手な人、スポーツが得意な人、苦手な人、いろんな人がいていいと思うんですけど、「自分たちとは違うところがある」、「自分が出来るのにどうしてお前は出来ないんだ」と言って、人を傷つけ合うのです。
出来ないことや分からないことは決して恥ずかしいことでも何でもないと思います。出来ないことと分からないことは出来る人から手伝ってもらっていいんだという気持ちを持って欲しいと思います。
僕はこの世に生まれてきて価値のない人間は一人もいないと思います。僕は地域の中で生きていくことで、本当に人のためになっているのかずっと思っていました。
僕はこの前ある女性に「付き合って下さい」と告白をしました。その女性とは何回か会っていろんな話をして、自分と共有できることが多くあると思って告白したのですが、その女性は「私には好きな人がいる」と言われ、「付き合っているのですか?」と聞くと、「付き合ってはいないのだけど、告白する勇気がなかった」と言うことです。その彼女が「倉田さんといろんな話をする中で、やっぱり私も一生懸命生きていかないといけないと思ったから、私はその人に告白をします」と言われました。
結果的に僕はその彼女から振られたのですが、その彼女には僕との出会いの中で彼女が好きな人に告白をするという勇気を与えたんだと思います。だからこんな僕でも、人の役にたっているんだなあと思いました。
僕が一番言いたいことは、「障害」がある、ないにかかわらず、お互いの違いを認め合って、共に生きていくことを実現して行くことが必要だと思います。これからは大人も子どもも夢と希望を持って生きてほしいと思います。
以上が、6月13日に本校体育館で実施された倉田哲也さんの講演内容でした。言葉が不自由な方でしたが、倉田さんの声は響いてきました。「障害はあっても、他人の為に何か役立つことができるんだ!」という姿勢に感動しました。講演を聴いての感想がここにあります。
制作:パソコン同好会 1年柳原