ダム問題(閲覧者の方より) |
私たちの「水を考えるページ」を閲覧いただいた四国の方より、メールをいただきました。ここに紹介させていただきます。
貴サイトの「くまもとの水みんなで考えよう」一読させて頂きました。さすがは川辺川問題で議論が沸いている地、高校生ながら冷静かつ広範囲、そして実践的視点で、物事を見られているなと感服致しました。貴サイトを訪れたきっかけは、下記のお知らせを知人からもらったためです。
・故障時の停電区域の軽減 ・送電コストの削減(これは地域にもよるので一概には言えないでしょうが) ・老朽化施設交換時の環境負荷の軽減 ・日常的環境負荷の軽減 といった点で有用ではないかと思われます。少なくとも検討の余地がありますし、日本各地で検討が始まっています。その中で、「上記小規模施設には、技術的な問題が未解決」との見方が多くは国側・行政側から示されがちですが、内実は工業技術ではなく、国管理・県管理といったタテ型官僚社会における予算上の問題が最大の問題点だと言えます。 ご承知のように、荒瀬ダム撤去問題では、最大の争点は「撤去するのは国か県か」というタテ型官僚社会の弊害であって環境問題ならぬ官僚問題に堕しているのです。 さて、話を標題に戻しますと、
「くまもとの水みんなで考えよう」に美しい写真が載せてある嘉島町の「浮島」のような光景が、かつて日本各地でみられました。しかし、高度経済成長を支えるための「列島改造論」により、日本の河川の各地にダムが建設され、また河川の河原の砂利がダムや道路や建築物のコンクリートのために、莫大な量が掘られたため(今日では禁止され、海での砂利採取が変わりに問題になっています)、河川の水位が大きく変動し、
このように、水質面、あるいは河原・浮島・干潟などの消失は人間の精神面(子どもの遊び場、大人の憩いの場)として重力式ダム発電がクリーンといえるか疑念を抱かせます。ダム湖を利用した一部のレジャーの効果がそれに匹敵するものとはとても思えません。 本文冒頭部分にある
にもかかわらず、なぜ「もっと論議されなかったんだろう?」という疑問が地元の人にまで出てくるのはなぜでしょうか。それは、情報の非公開と、情報不足による当時の住民意識の低さにあるだろうと思います。「議論」は住民が行ったのではなく、建設のための行政による雇われ研究者の「議論」と一方的で少ない(一面的な)情報下での住民説明会のみがあったのだと思われます。 また、おっしゃるように
また、漁業の衰退によって、後継者のいない高齢漁業者と、意欲的に川を守ろうとする若手漁業者とで意見の食い違いがおこり、漁業組合内で十分な議論のないままに国の出す漁業補償に飛びついて、後に若手が知らされて問題化することも多くあります。 まさに川辺川でも漁業権でいったんは国が補償したものが、 十分な情報公開もなく判を押さされたとして地方裁判所に漁業者が訴えて、勝訴したのだったかと思います。(この辺は地元の皆さんの方がくわしいですね) あと、細かい点ですが、
ダム治水(河道主義)から治山治水(流域主義)へのターニングポイントとして、荒瀬ダム撤去がどのような形ですすめられ、どのような事後策が取られるのかは全国が注目しています。地元住民のみなさんの、そして若い皆さんの感性に期待しています。 |
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未熟な私たちの意見に対して、ご指導・アドバイスいただき感謝申し上げます.。 「全てのダムが人間にとって本当に不要なものなのか。撤去や建設を目先の主義主張や利権で判断していいのか。環境を破壊してまで造ってしまった既存ダムの撤去と、新たな環境問題を引き起こす新たなダムを建設すること、どっちがより良いのか。ダムを絶対的に否定するのではなく、個々において是々非々を判断しなければ!」と考えています。可能な限り末永く利用する事のほうが環境に優しいのでは、自然環境を破壊してまでも造ってしまった物を、もう用済みだと、簡単に撤去しようという考え方に疑問を抱いているのです。環境問題等に対処する為にも、造りっ放しでなく、汚泥対策などメンテナンスやアフターケアが必要なのは当然。「造っては壊し、そしてまた造る」ということこそ環境破壊の元凶ではないかと思っています。(2004/03/23) |
私の故郷は八代郡坂本村中津道です、荒瀬ダムの上流で生まれ育ちました、生家はダム湖平水位(海抜32.50m)より約4m高い位置にありました、ダム建設より前、生家は2回床下浸水に見まわれていました。 戦後、球磨川総合開発の名の下、生家より8km下流に荒瀬ダム、上流2kmに瀬戸石ダム建設の話が起り、父達は洪水時の水位上昇を心配しました。しかし熊本県は平水位より1m高の33.50mまでしか水位は上昇しないと説明し、住家に対しての補償をせずに建設に着手した。(生家の下流1kmにある国鉄鎌瀬鉄橋は約1mの嵩上げ工事をしている) 両方のダム完成後の水位上昇は様相を一変させた、昭和38、39年床下浸水、(水位海抜36.50m) 40年床上浸水、(水位海抜39m)と連続して被災しました。父達が心配した通りの事が起きましたが熊本県企業局は38.39年水害は見舞金程度、40年水害は天災として無保証、流失家屋に小額の見舞金で済ませている。(40年水害後川辺川ダムを計画) 「荒瀬ダム建設計画時の球磨川河川管理数値は、 萩原(八代)計画洪水量5000トン、 荒瀬ダムに計画洪水量5800トン、(100分1)満水位、海抜32.50m、危険水位海抜33.50m、設計洪水位は未発表。 上流の瀬戸石ダム計画洪水量6000トン。」 現在の河川管理数値(川辺川ダム建設後) 荒瀬時点計画洪水量 6550トン 瀬戸石ダム時点計画洪水量 6150トン 上流のダム6000トン、下流のダム5800トン、下流のダムが規模は大きくなくてはいけないが、逆転している、水理工学上おかしな事が50年間、専門家であろう熊本県企業局、建設省共、無視をしてダムが運用されていた。 また熊本県企業局は設計洪水位を隠蔽していた、平成15年判明海抜37.50m、 我が生家は100分1かも知れないが水害から逃れる事はできなかった。 この様なダムの水利権更新を許すわけにはいかなかった。 私は原子力の電気(放射能、半減期)、火力の電気(温暖化、二酸化炭素)より水力の電気がクリーンと考える、この事に付いてはあとでメールします。(2005/04/12) |
地元の人でなければ分からない深刻な被害があったんですね。県の姿勢はおかしいです。鉄橋はかさ上げ工事をし、民家には「問題ない!」と相手にしないとか、長い間設計洪水位を隠蔽するとか、全くひどい話ですね。設計洪水位が海抜37.50mなら、ご生家が浸水するのは事前に分っていた訳ですね。地元に被害をもたらすダムなんて必要ないというのも当然ですね。県内の他のダムのことだそうですが「ダムができた為、下流は水不足に、地下水位も下がり、多くの井戸が枯れ、ボーリングし直さなければならなかった」、ダム建設の影響は明かなのに、補償はなかったという話も。 大切な自然を破壊してまで造った貴重なダム、可能な限り永く利用するためには、綿密な調査、公平な補償というのが大前提かと。ややもすれば、大きい声に耳を傾け、小さな声には耳を貸さないという雰囲気も。部数・視聴率至上主義(?)という一部のマスコミと同じ構造が潜んでいるのでしょうか。何故か、先日の「中国の排日デモ」と重なる部分があるようにも思えます、うまく表現できませんが。(2005/04/14) |
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小生は「荒瀬ダム撤去問題」にH14年当時から関心を持って、インターネットで熊本日日新聞などを通じて動きを見ていましたが、3年ほど前に貴HPを発見し「ダム問題を考える」の記事に感動しました。非常に的を射たコメントと感心しました。 本記事に寄せられているアドバイスメール2通の意見は非科学的で情緒的ですが、一般国民の大多数が同じようなレベルであることも事実です。 愕然としますが、貴記事のような正しい意見をどんどん発信する必要があると痛感しているところです。 小生は73歳ですが、これからHPを立ち上げようと勉強中です。早くHPを設置して貴同好会との交流も行いたいと思います。 貴HPに「地球温暖化問題」や「エネルギー資源枯渇問題」も取り上げて欲しいし、その面でお役に立てるかも知れません。 荒瀬ダム問題に関連して、小生のコメントを下記に紹介します。 約10年前に「アメリカのダム撤去問題」が国際的なNGOであるInternational River NetやAmericanriversで大きく取り上げられ、その実態調査に日本からも多くの調査団が行きました。 実態はNGOが取り上げているほど深刻なものでなく、古くて危険なダムの撤去が大部分で、鮭の遡上を著しく阻害している幾つかのダムの撤去が問題になっているものでした。 アメリカのダム撤去問題と同じようなことが、熊本でこれから起こると思います。「何故、荒瀬ダムを撤去するのか」と近隣諸国だけでなく世界中から問合せが熊本にやってくると思われます。 小生の知っている限り熊本には、その答えが用意されていません。「荒瀬ダムの撤去」は極めて政治的に簡単に短期間に決められて、技術的、経済的な検討されたように思えないからです。 荒瀬ダムは藤本発電所(18,000KW)の発電専用ダムです。藤本発電所(18,000KW)は年間7,700万KWhの発電をしています。これで年間5.7万トンのCO2を削減して地球温暖化防止に貢献しています。年間5.7万トンのCO2を削減とは非常に大きな貢献です。その大きさを熊本県は全然理解していないと思われます。精々、発電量の7,700万KWhが県全体の電力消費量の1-2%と軽く考えているに過ぎません。 7月には洞爺湖サミットで地球温暖化問題が主要議題になります。荒瀬ダム問題は熊本県だけの問題ではありません。 荒瀬ダムは平成22年3月に撤去が始まります。後2年です。熊本県民にもう一度よく考えてもらいたいと思っています。 |
励ましのメール、うれしいですね。ありがとうございました。この「ダム問題を考える」を発信した先輩は既に卒業されていますが、大変うれしく思っておられるのではないでしょうか。荒瀬ダムで年間5.7万トンのCO2を削減しているとは驚きました。私たちの意見に対する心強い情報でした。別ページとして「地球温暖化と水」のテーマで作成途中のファイルも残っています、後を引継いでくれる部員をさがしているところです。(「あなたは?」と聞こえそうですが、今、他のページで手一杯なんです・・・。「国府高校の生徒の皆さん、PC同好会が待ってます!」) |
熊本国府高等学校パソコン同好会 御中 貴ホームページを拝見しました。高校で作られていらっしゃるのですね。随所に瑞々しい感性が感じられ、拝見していても好感が持てます。ただ、ダムのページについては、いくつか疑問を感じる箇所がありました。地元の当事者といくらかでも近しい距離にいる一人として、それらについて、少しだけお伝えしたいと思います。 ●五木村について ダムが止まっても村は元には戻らない、という点は事実でもありますが、「だからダムは進んで良い」という結論はやや早急過ぎるのではないかと感じました。ダムが止まった場合とダムがこのまま進んだ場合とでは、村にとっては大きく違ってくるというのが、そう思う理由のひとつです。 それは、「ダムなしの将来を正式に考えられる」という点に尽きます。現在五木村では、水没予定者の移転がほとんど完了していますが、代替農地造成、頭地大橋建設、付替道路の建設などがダム関連工事として残っています。 一例ですが、現在昔の頭地地区には、97%が山林という村の中でも最大規模の広大な更地が残っています。事業を起こしたり、農業経営を始めたり、いろんな利活用が考えられますが、この広い敷地のほとんどが国有地であるため、村は利用することができません。ダムが止まれば、村と国との間でこの土地を恒久的にどうするか、村有となるか国有となるかなど方向性が明確に結論付けられます。 一方で、ダムが止まることは、ダムに関連して村に下りていた補助金が無くなるということです。ダム関連工事が無くなり、建設会社や、従業員による売店や食堂や民宿などへの経済的効果にも影響が出るでしょう。前述の村内のインフラ整備に関する工事も、途中で止まってしまうかもしれません。つまり、村にとっては否応なしに「ダムなしの将来」を考えなければならなくなるわけです。 ダムと五木村に関する経緯は、もう少し、書籍や資料などで調べられてはどうかと思います。私は、様々な理由から川辺川ダムに反対の気持ちを持っていますが、ホームページでのここのパラグラフについては、少し大雑把な思い違いがあるように思えてなりません。 例えば、私の目から見てですが、現在のダム反対の世論には、「これ以上の自然破壊は進まず、跡地は子守唄の里として保存できる」からだとか、「元々のダム計画そのものが、一時的な利権・利益を目指したものだった」からとかの思いがあるとは思えません。 それよりも、ダムによる生態系や環境・社会影響の大きさへの認識が広まり、ダムにのみ頼った治水の限界が認識されるようになってきたためではないでしょうか。国が、意図的に情報公開を渋ってきたことへも社会的倫理的に見て問題視されていると思います。 ●荒瀬ダムについて 現在大きな問題になっている荒瀬ダムですが、貴ホームページでは、いくつかの視点が抜け落ちているようにも思えました。少し気になった点を以下に整理しました。これらの点は、このホームページを見た他の方からのご指摘とも、いくつか重複しています。可能であれば、ぜひこれらの点を含めて、再度ご主張を検証されてはどうかと感じます。 (1)ダムがCO2を排出せず、温暖化防止に役立っている点について、2つ誤解があると思います。 1つは、ダムとCO2排出の関係についてですが、ダム湖面からはCO2よりはるかに温室効果の高いメタンガスが発生します。熱帯のダムは特に顕著ですが、ダム湖面からのメタンガスが引き起こす地球温暖化への効果は、人間の諸活動に起因する温暖化の原因のうち、最大の4%を占めるとも言われています。 もう1つは、温暖化防止のためには、電力と資源を大量に消費し続ける生活スタイルの転換と、環境に負荷をできるだけ与えない再生可能エネルギーの開発の推進(原発はもちろん「論外」です)、産業界や法規制とも絡めた対策こそが最優先で進められるべきです。もし、地球温暖化防止を理由に、巨大な水力発電ダムを建設し続けたとしたらどうなるでしょうか。その行き止まった先に、持続可能な社会が待っているのかどうか、私には大きな疑問です。 (2)荒瀬ダム撤去の理由を「経済的価値が少なくなったら取り壊せばいい」とされている認識については、なんだか少し単純化し過ぎる捉え方ではないかと思います。荒瀬ダムは、建設当初は電力供給について大きく貢献しましたし、ダムができた「結果論」としてですが、ボートレースやカヌーなどの楽しみも提供しました。 それらをすべて否定してダム撤去を、ということではないと思います。それらの過去の経緯やダムが与えたプラスの影響を考慮に入れてもやはり、「荒瀬ダムのない未来を選びたい」…。荒瀬ダムが与えてきた負の影響の甚大さゆえに、流域の当事者の方たちは、そう判断されたのではないでしょうか。加えて、荒瀬ダムを撤去して新たなダムを、という議論は、荒瀬ダム撤去を決める前も後も、今まで一度も聞いたことがありません。現実的に考えて、今後もそういった議論に進むこともないだろうと思います。 (3)赤字で書かれている「一度傷ついた地球の傷は簡単には癒えない」という点は賛成です。しかし、続く「可能な限り永く利用することが大切では」というのは、"物を大切にしよう"という議論と、"壊してしまった自然を、できるだけ元通りに回復させよう"という議論の2種類を、同じテーブルの上で考えているようなもので違和感を感じます。最近よくある『もったいない』議論のすり替えに似てしまっていて、根本的な問題の在りかを、自ら見えづらくしてしまわれているように思えます。 (4)荒瀬ダムや瀬戸石ダムの魚道について。「魚に優しいダム」とありますが、この魚道は地元の漁民の方からの再三の指摘を受け、ごく近年になってやっとできたもの。その上残念ながら、ダムができる前と比較対象にもならないほど、極めて低い効果しか生んでいないという厳しい現状があります。魚道は確かに横から見えるようになっており、たまには魚も上ると聞きます。魚道そばに必ず描かれているイラストのような光景には、私は一度も立ち会っていませんが・・・。2つの魚道は、あまりに効果が低過ぎるのです。加えて、球磨川がもたらす恵みの代表選手である鮎は、流れのない場所では遡上できません。魚道を鮎が行き来しても、魚道を越えた先にあるダム湖では、それ以上上流へ上って成長したり、産卵をすることができないのです。 (5)「その痛みを知り、できるだけ寿命を延ばすことが人間の使命」とありますが、ここも(3)と同じく、本来は別々である複数の問題が一緒に議論されているように感じます。 荒瀬ダムの寿命を延ばすことが、すでに失われてきた環境や社会面での負の影響をさらに継続・拡大させるとしたら? 今までの人間の「自然」や「環境」の捉え方や利用方法が、元々無理があったのだとしたら? ・・・私たちは、これまでの姿勢そのものから何かを学び、今からでも間に合うのであれば、人間と自然の共生のための賢い選択をすることができるのではないでしょうか。過去と現在の延長線上には描けない、持続可能な別の未来のために。 (6)荒瀬ダムは50年に渡って「赤字を出していない」のではないと思います。ダムによってダムサイト住民と下流や八代海の漁師や漁業に関連し生業を営んでいた方たちが支払った代償に対して、適切な補償がされていないための「黒字」ではないでしょうか。これは、地元や下流住民の方が、荒瀬ダムによって実際にどのような被害が起きたと主張されているかという点と、荒瀬ダムによる補償がどの程度の額でどの範囲の方が受けられていたか、流域の生活がこの間でどのように変わったかを様々な視点から調べられると、きっと参考になると思います。 最後に、ホームページを通して見解を発表され、また、それに対する賛否や感想についても一緒に公開されている姿勢に、心から敬意を感じます。このページは、2003年に作られたとのこと。同じ学生さんが5年間も高校にいらっしゃる例は少ないと思いますので、先輩が作られたホームページを後輩の方が受け継がれていらっしゃるか、あるいは教員の方が作られていらっしゃるのではないかと思います。いずれにしても、今後さまざまな情報に触れられたり受け止められたりしながら未来へ進まれることを、まぶしく、うらやましくも思えます。どうか、これからも若い視点で活躍されることを願います。既存の取り組みに問題意識を持ち、問い続けられることを、ささやかながら応援しています。(2008/06/07) |
アドバイス、ありがとうございます。ご指摘の通り、作成者は既に卒業していますので、「ダム問題を考える」の根本的な内容の更新は行っていません。ただ、閲覧者の方々からいただいたメール等を本ページに掲載させていただき、「ダム問題を考える」の更新に代えさせていただきます。今回のメールも掲載させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。最近、本同好会はメンバー不足で、時間を要するページの作成が難しい状況です。「ダムを考える」は構想から発信まで1年以上、その後卒業直前まで更新していましたので、あの1ページに2年以上費やしています。当初、3~4人のグループで資料を集めながら検討していたのですが、発信時点まで残ったのは一人。何度も書き換え、苦労して作成したページ、末永く残しておきたいものです。自分自身が興味を抱くテーマでWEBを作成すことに比べ、他人が作成したWEBを受け継いでいくことが難しいものです。意見や主張が加われば尚更で、最近の本サイトが写真と簡単な紹介文中心となった要因かとも。ご教示、ありがとうございました。今後のWEB発信の参考にさせていただきます。 |
私たちは情報に疎く、気付かない事も多いかと思います。お気付きの点等、アドバイスいただければ幸いに存じます。
制作:熊本国府高校パソコン同好会 |
最終更新:2008/06/10