九州のほぼ中央に位置する熊本県は、古くから九州の行政、文化、交通、経済の拠点として発展してきました。地の利の良さもさることながら、肥後54万石の歴史と伝統がいたるところに息づき、日本でも有数の文化県として知られています。 世界に名だたる阿蘇・天草の2大観光地を有し、バラエティに富んだ自然美あふれるロケーションが訪れる人々の心を魅了してやみません。相良氏700年の面影を残す人吉・球磨地方や、石の芸術品ともいうべき見事なも石橋が点在する緑川流域、不知火海の穏やかな海岸美が楽しめる芦北地方など、見どころは実に豊富です。 |
熊本のシンボル
県章 | |
熊本県の【ク】をイメージしたものです。中央の円形は九州の中央に位置する熊本県を意味しています。 |
県木 | 県花 | 県鳥 | 県魚 |
クスノキ | リンドウ | ヒバリ | クルマエビ |
熊本の歴史
原始・古代
県内各地に発見された遺跡からみて、熊本には約1万5千年前から人々が住みついていたと推定される。その後、紀元前7000年頃から前2世紀頃まで(6〜7000年間)縄文時代の遺跡は、有明海や不知火海にそそぐ河川の流域や天草島など県下各地の約800ヵ所にわたって発見されている。
紀元前2〜3世紀になると弥生の農耕文化が起こり、その遺跡とともに玉名郡天水町で、わが国最古の鉄斧も発掘され、金属器が伝来したことを物語っている。古墳時代に入ると地南町、宇土半島に古式の古墳群が分布するほか、阿蘇谷、菊水町、鹿央町などに前方後円墳を中心とした古墳群が発展し、6〜7世妃には菊池川流域に日本有数の装飾古墳文化が栄える。この頃になると県内に火国、阿蘇国、天草国などの小国が出来、やがて火の国(肥の国)、肥後国へと統一された。
大化改新の国郡制施行によって肥後国にも国府がおかれ、太宰府の管轄(かんかつ)下に国司が政治を統轄(とうかつ)するようになった。
中世
平安時代 肥後国には14の郡ができ、その中に総計99の郷があった。また平安中期以降、荘園全盛の時代になると県下にも阿蘇荘、鹿子木荘、山鹿荘など数十の大荘園ができ、平安末期にはこれらの荘園の中から武士団がきた。
やがて鎌倉幕府によって統一されると武士たちは地頭や守護に任命されて、各荘園において勢力を伸ばしていった。その中には阿蘇氏や菊池氏などのように土着の豪族のほか、人吉の相良氏や玉名の小代氏のように幕府成立後、遠く他の地方から赴任してきた一団もあった。
南北朝の頃から菊池氏の勢力が強まり、阿蘇、名和、相良などの諸氏がそれに続いていたが、室町末期期、菊池氏が衰えると、一時豊後の大友氏や肥前の竜造寺氏、薩摩の島津氏の勢力が伸び、肥後は戦国三大名の争奪の地となった。以降、豊臣秀吉の九州平定まで島津氏の勢力下におかれた。
近世
天正15年(1587)、秀吉は佐々成政を肥後の国主に任じたが、国衆一揆が起こり成政は失脚。ついで県北及び葦北(あしきた)の9郡25万石を加藤清正が、県南の3郡24万石を小西行長が支配することになった。球磨は従来通り相良氏が支配したが、天草は天草五人衆の支配から小西領、加藤領、唐津城主寺沢領と変わり、以降多くの変遷を経ながら明治維新まで天領となった。
清正の子忠広の時改易された加藤氏のあとを受けて、寛永9年(1632)小倉より細川忠利が肥後54万石を領して入国。政治の組織制度に大きな改革を行うなど、明治維新まで細川氏が統治した。なかでも地方行政の根幹(こんかん)をなす「手永(てなが)制度」は特筆すべきものだ。これは郡と村との中間にあたる行政区画で、52手永に編成、それぞれに惣庄屋(そうしょうや)がおり20〜30ヶ村を一括支配していた。
幕末近くになると藩の財政は次第に苦しくなり、各種の政治改革や植産興業につとめたが、まもなく幕藩体制は崩壊した。
近代
明治2年(1869)、肥後藩主細川韶邦の版籍奉還(はんせきほうかん)後、肥後藩は熊本藩と改められ、藩主は知藩事に任命された。同4年の廃藩置県によって熊本藩は熊本県に、人吉藩は人吉県となり、天草は一時長崎県に編入。その後、熊本県と八代県が置かれ、同6年合併して白川県となり、この時初めて肥後国全体を管轄(かんかつ)することになった。同9年熊本県に改名。同10年には政府の欧化政策(おうかせいさく)に憤った士族たちの反乱・神風連(しんぷうれん)の変が起こり、さらに西南の役の激戦地になるなど新時代誕生の陣痛ともいうべき混乱の時代を迎えた。
この時期を過ぎると県政は保守的な学校派(国権党)と改進党の激しい対立が続き、当時熊本は政争県といわれ、昭和初期の民政党と政友合の時代まで続けられた。一方、両者がそれぞれ設立した教育機関の競争も激しく、教育県とも呼はれていた。
その後数多の変革が行われ、地方制度は徐々に地方の自治の方向に進んでいった。明治22年に市制・町村制が施行されると、すぐ熊本市が誕生、同29年には郡の統合が行われ、昭和28年公布の町村合併促進法に基づいて市町村の合併が進行。平成3年2月には飽託(ほうたく)郡の4町が熊本市へ合伴し現在(2002/4/1)11市63町20村の94行政区域となっている。
(修学旅行企画資料より)
熊本の特産物
農産物・水産物
肥後の赤ウシは、熊本独特の肉牛で最近では「肥後ビーフ」の商品名で人気がある。夏の間、赤牛は山野に放牧されています。 | ||
阿蘇から久住にかけての九州横断道路を行くと、熊本県側では赤牛だったのが、大分県に入ると給に黒牛に変わり、県境が解るということです。 | ||
その他に、トマト、甘夏ミカンや畳表を作る「い草」などの生産高が日本一だそうです。日本でも有数のお茶どころとしても知られ、山間部を中心に高品質なものが作られています。また、おだやかな気候を生かした花の栽培もさかんで、キク、バラ、カーネーション、カスミソウをはじめ多数の花が出荷されています。 | ||
天草での「車エビ」や「タイ」、有明海での「のり」や「あさり」などの養殖漁業が盛んで、いずれも日本でも有数の生産高をほこっております。そのほかにイワシ、アジ、サバなどの天然ものの漁獲量も多く、アワビやワカメなど新鮮なものがいつでも手にはいるところです。 |
熊本の自然