熊本空襲について
 
熊本大空襲を記す碑
(ライオンズクラブ建立)
メルパルク熊本の南側
白川沿いの公園内にて
大きな画像(70kb)

この碑には
以下のように記されています。
 熊本市は昭和19年11月21日以来、数回(年表参照)の空襲を受けた。なかでも、昭和20年7月1日夜から2日未明にかけてのB29による焼夷弾攻撃、8月10日等の空襲のため、水前寺、大江、本荘、春竹、本山、蓮台寺、八島方面、新市街、下通、水道町、安巳橋、千反畑、草葉、坪井、黒髪方面等、市内の約3分の1が消失。 この間の罹災官公庁学校は県庁、県会議事堂、県立図書館、財務局、税務署、専売局煙草工場、熊本郵便局、熊本幼稚園、白川、黒髪、壺川、池田、本荘、日吉、熊本の各国民学校、済々黌、熊本中学、市立、大江、家政、熊本工業、市立商工、薬専、熊本医大等、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人、死者数469人、負傷者数552人という。
 筆舌につくせぬ悲惨な被害を受けた被害者の霊を弔い、再び戦争を繰り返さぬよう祈念するため。

 碑には、数回の空襲とありましたが、以下の年表によると、警報を含めて数多くの空襲などがあったとの記録もあります。
 数百機もの戦闘機や爆撃機となれば、空一面を覆い尽くすのでしょうね? 爆弾とか機銃放火など、現在では想像すらできない風景ですね。
 戦災といえば、沖縄や広島、長崎を取り上げられることが多いのですが、熊本でも戦災に遭っていたことも知っておきたいものです。

熊本の空襲年表
昭和17年  4月18日 空襲警報(米軍機による日本本土初空襲)
昭和18年  4月4日〜9日 警戒警報
昭和19年  6月 6日 警戒警報
 8月10日 B29進入
10月23日 B29進入
11月21日 B29、80機 花園町柿原に爆弾投下
昭和20年 1月 学校の天井板取り外しの指示
 3月17日 県より民家の天井板取り外し通達
 3月18日 米艦載機県下を襲う
 3月19日 米艦載機1,100機が九州全域を襲う
 3月26日 健軍空襲
 3月28日 米艦載機1,300機が九州全域を襲う
 4月17日 B29 70機の空襲
 4月21日 小型機280機空襲
 4月22日 B29 100機、小型機30機 空襲
 5月 5日 B29 南小国で墜落
 5月10日 八代空襲
 5月13〜14日 艦船機来襲
 5月17日 新聞、ラジオの発表以外の空襲被害を他言せぬよう厳重指示
 5月24日 200機
 6月 2日 260機
 6月 6日 戦闘機爆撃機300機
 6月12日 グラマンなどの小型機来襲
 6月17日 B29
 6月29日 B29 30機
 7月1〜2日 B29、154機による大空襲、爆弾投下量1,107.2トン
 7月 3日 小型機100機九州各地を襲撃
 7月 4日 B29の爆撃 熊本郵便局焼失
 7月 6日 小型機160機九州各地を襲撃
 7月11日 小型機200機九州各地を襲撃
 7月15日 B29、小型機 107機空襲
 7月16日 230機
 7月17日 B29 10機、小型機50機
 7月24日 1500機
 7月27日 小型機多数
 7月29日 戦闘機500機
 7月30日 小型機400機
 7月31日 戦闘機爆撃機400機
 8月 1日 戦闘機爆撃機140機、九州各地を空襲
 8月 7日 戦闘機爆撃機250機
 8月 9日 小型機300機

以上、県立図書館資料(熊本空襲)より抜粋、転記や誤記の可能性も。


 先日ある方に、熊本の戦災についてお尋ねしたところ、「熊本に原爆?」と長崎の原爆のことと勘違いされてしまいました。そして熊本も空襲にあったことが忘れ去られている(知らない人が多い)ことに気づくことになりました。それが、このページ作成の発端です。戦災=原爆ではありません。原爆以外にも戦災の被害を経験した町は多いのです。今後、もう少し調べてみたいと思います。おじいさんやおばあさんたちのお話も集めたいですね。不幸な戦争を繰り返さないために!(平成10年8月15日)

最終更新:2004/02/20


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