宿泊研修に当たって


 

 人間は、人生の中でその時その時の役割を持ち生きていく。役割を持つということは、何らかの任務を果たしていくことであり、それには好きなことも好きでないことも含まれており、好きでないという理由から、そのことから逃避するわけにはいかない。かつ、自分が行った行為については責任が伴う。

 諸君は熊本国府高に入学し高校生となった。このことは高校生という役割を持つことになったことを意味する。その役割とは何か、また、どのようにしてその責任を果たしていくのか、そのことをまず考えてほしい。

 次ぎに、本校には約1600名の生徒と約120名の教職員が共に生活しており、そこにはさまざまな人間模様がある。人間関係は美しいもの、高めあうものでなければならぬ。

 中国の古い書物『史記』の中に「白頭新のごとく、傾蓋(けいがい)故のごとし」と述べてある。これは、頭髪が白くなるまで交際しても心が通い合っていなければ新しい友と同じであり、道の途中で車を止めおおいを取り立ち話をしただけでも、心が通じ合えば古くからの友人のように親しくなるという意味である。交友は年月の長短ではなく、相手の心を知ることの深浅にあることを教えている。

 本校に入学し新しい出会いが始まったが、唯同じ場所で生活しているだけでは心のふれあいは生まれてこない。自己を表現すること、心が見えることにより初めて心を通じ合わせることが可能になる。よき友、よき師を得てほしい。

 人間は人の中にいると安定する。しかし、常に人の中にいないと安定しないのは困る。特に、青年期の若い諸君は、孤独な時間が人間成長に大きな役割を果たしている。青年期は自我が確立する時期であり、自我が確立するためには、自分の心の内面に眼を向け、自分を見つめ、自分を高めていかなければならない。これは孤独な営みであり、より深い友情や人格的連帯感もこの中から生まれてくる。

 若い時の孤独の体験は貴重である。

 1年生の宿泊研修は、高校生活を充実したものにするための心構えと新しい人間関係を築く手がかりを得る機会として実施するものである。研修を通じ諸君が大きく成長することを期待している。



 

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<制作>熊本国府高等学校普通科